Carmel(カーメル)

十三夜の月のイラスト

カリフォルニア州中部の海岸線を南北に貫く「17マイルドライブ」を抜けると、霧の向こうに静かに現れる町があります。そこが、太平洋沿いの小さな宝石箱とも呼ばれる Carmel-by-the-Sea です。一般には単に「Carmel(カーメル)」と呼ばれていますが、その正式名称にある “by-the-Sea” が示すように、この町は海と芸術と静寂によって成り立っています。人口は四千人ほど。ロサンゼルスやサンフランシスコのような大都市とは対照的に、カーメルには信号機がほとんどありません。住所も独特で、「○○通り何番地」ではなく、「松の木の隣」「郵便局から西へ二軒」といった説明が今も使われています。チェーン店の看板や派手なネオンサインも厳しく制限され、町全体がまるで一つの美術作品のような景観を保っています。

この土地の歴史は、1770年、フランシスコ会修道士の Junípero Serra が近郊に「カーメル伝道所(Mission San Carlos Borromeo)」を建設したことに始まります。現在も残る石造りのミッションは、カリフォルニア伝道史を語る上で重要な存在であり、多くの観光客が訪れます。スペイン風建築と糸杉の風景が重なるこの地域には、どこか地中海的な空気が漂っています。

カーメルを特別な町にしたのは、20世紀初頭に集まった芸術家たちでした。サンフランシスコ地震後、多くの作家や画家、詩人がこの静かな海辺へ移り住み、「芸術家の理想郷」を築き上げたのです。森の中には妖精の家のようなコテージが点在し、小さなギャラリーや劇場、書店が今も残っています。町を歩いていると、商業都市ではなく“文化共同体”として発展してきたことがよくわかります。そして、この町を世界的に有名にした人物の一人が、俳優で映画監督の Clint Eastwood です。西部劇や『ダーティハリー』シリーズで知られるイーストウッドは、1986年から1988年まで実際にカーメル市長を務めました。ハリウッドスターが市長になるというニュースは当時大きな話題となりましたが、彼の立候補には明確な理由がありました。当時のカーメルは景観保護の規制が非常に厳しく、レストランに看板を出すことや、商業施設を改装することにも複雑な許可が必要でした。イーストウッド自身も、自分が経営に関わるレストランの改装問題をきっかけに市政へ不満を抱いたと言われています。そして「もっと開かれた行政を」という公約を掲げ、市長選に出馬したのです。結果は圧勝でした。彼は在任中、図書館の整備や海辺の公共空間改善などを進め、行政の簡素化にも取り組みました。ただし、彼が町の景観保護そのものを否定したわけではありません。むしろカーメル特有の美しさを理解したうえで、“住民が暮らしやすい芸術の町”を目指したともいえるでしょう。

現在でもカーメル周辺には、イーストウッドゆかりの場所が点在しています。彼が所有したレストランやホテル、そして彼の映画に登場しそうな静かな海岸線は、多くの映画ファンを惹きつけています。カーメルの魅力は、単なる高級リゾートではない点にあります。

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