昔の暦



今では旧暦とひとまとめにしますが、明治5年の暦法改正によってグレゴリオ暦が採用され、旧暦は一掃されたことの結果です。しかし日本の暦法には歴史があり、文化遺産ともいえるものなので、使うか使わないかという利便的な理由で排除するのではなく、改めて勉強して見るのも昔の人の生活が垣間見えて楽しいものです。

12月11日は旧暦霜月十八日で、寛政暦が完成した日です。寛政暦は寛政十年(1798)正月元日に宝暦暦(ほうりゃくれき)から改暦され、天保十四年(1844)師走月二十九日までの46年間使用され、天保十五年(1844)正月元日天保暦に改暦されました。
その前の宝暦暦は出来が悪く、幕府は西洋天文学を取り入れた暦法に改暦をしようとして、高橋至時を幕府天文方に登用、同門の間重富とともに改暦の準備に当たらせました。西洋天文学の書物の漢文訳である『暦象考成後編』を元に、月と太陽にだけであるが楕円軌道法を導入し、惑星には円軌道に基づく理論でした。弘化元年(1844)渋川景佑の『寛政暦書』(35巻)ではティコ・ブラーエの図が入っているそうです。
天保八年(1837)の大小暦(大月〈30日〉、小月〈29日〉)では、2月、4月、6月、9月、11月が小月で、その覚え言葉が「西向く士」でした。これは今でも使われることがあります。大月は1月、3月、5月、7月、10月、12月で「大好きは雑煮草餅柏餅ぼんのぼた餅亥の子寒餅」という今では忘れられた行事が並べてあります。

宝暦暦は宝暦五年元日に貞享暦から改暦され、寛政九年晦日までの43年間使用されました。当時の清朝の暦法(時憲暦)が実はイエズス会の宣教師が伝えた技法を採用していることを知った将軍徳川吉宗はキリスト教色を排除した形で西洋天文学を取り入れた暦法を採用したいと考えるようになり、西川正休らによって改暦の準備が始められましたが、吉宗の急死により朝廷の陰陽頭土御門泰邦に主導権を奪われてしまい、その結果完成した暦法は貞享暦よりも劣ったものとなり、宝暦十三年9月1日の日食を外してしまうという失態をしました。

貞享暦(じょうきょうれき)は渋川春海によって初めて日本人の手で編纂された和暦です。それまでは明の宣明暦が800年以上にわたって使われていましたが、次第に誤差が蓄積し実際の天行よりも2日先行していました。各地で独自に宣明暦に基づいた暦(民間暦)が発行され、暦の全国統一をする必要があり、朝廷は明の大統暦に改暦する予定を変え、渋川の大和暦を採用し元号から貞享暦と命名しました。

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