2022回目のクリスマス
日本では12月25日にミサに参加する人はキリスト教徒だけで、ほとんどの日本人がクリスマスは終わったという感覚になっています。なぜなら日本ではクリスマス・イブの楽しい気分だけを味わうからです。クリスマスは宗教行事ではなく文化行事なのです。クリスマスに限らず、戦後の日本は宗教を警戒する雰囲気が強く、大晦日や正月も宗教行事とは意識しておらず、宗教を意識するのは葬儀くらいになっています。よく「自分は無宗教だ」という人がいますが、これは意識して無宗教になっているのではなく、宗教を意識していないということなので、英語でno religious というと誤解されるので注意が必要です。
今年のクリスマスは2022回目というと、違和感を持たれると思います。しかし西暦というのはイエスの降誕すなわち救世主の支配が始まった年とされてきた年をゼロ年と考えています。ADはAnno Domini(支配の年)、BCはBefore Christですから、その起源は明白です。その原理からすると今年は2022回目の降誕祭ということになるわけです。
しかし研究によると、西暦の起源はイエスの降誕の年の翌年を元年とする紀年法という考えだそうです。ゼロという概念は2世紀のインドだそうで、西暦元年の頃にはゼロ年はなかったのです。そして西暦紀元(AD)1年の前の年は紀元前(BC)1年とされていました。さらにややこしいのはイエスの誕生年はBC4年であることがわかってきたので、本当のクリスマスは何回目なのでしょうか。キリスト教徒の方に聞いてみるといろいろな回答がきて、おもしろいです。
アメリカではクリスマス・カードにMany happy returns of your Christmas!と書いてあることがあります。つまりクリスマスが何回目というのは「あなたにとって」ということなのです。日本では各宗教の祖師の誕生日とか命日を自分との関係に置き換えることはないです。絶対値のようなとらえ方で換算していきますが、キリスト教圏では自分との相対関係で考えていくわけです。なので2022回目なのか2018回目なのかは関係がないわけです。
この絶対的時間と相対時間という概念は歴史観にも反映してきます。日本は独立記念日がないので建国紀元という絶対的年数の考え方が伝統でした。一方で元号という皇統の世代交代や災害や慶事があると更新する制度が並行していました。世界では王朝の交代や支配者の交代が頻繁なため、絶対的な歴史年数が存在せず、元号のような支配交代のたびに暦年が変わっていくことになりました。それで西暦というグローバルな絶対暦年が必要になったわけです。しかし未だ宗教歴という絶対歴の国もあります。
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