Pagan異教
このコラムではたびたびギリシア神話やローマ神話のことがでてきます。日本人には抵抗感がほとんどないと思いますが、欧米ではpagan gods(異教の神)と呼び嘲笑的なニュアンスがあります。キリスト教以外の宗教を異教と呼び差別します。ユダヤ教やイスラム教もキリスト教から見れば異教なのですが、paganとはいいません。Paganには多神教という意味もあります。欧米から見ると仏教も異教であり神道も異教です。日本では仏教と神道が融合した神仏混淆が広がっていますから、彼らからすると理解不能な人々ということになります。はっきりとは誰もいいませんが、欧米の書物などからはキリスト教>異教>無神論のような差別意識が潜在的にあるようにおもえます。日本人は外国人から「あなたの宗教は何か?」と問われて「信仰はありません」と答える人が多いです。実際、そういう場面を何度も見ました。相手の宗教を尋ねるのは失礼なのは共通ですから、かなり親しくなってからの質問です。日本人が「ご家族は?」とか「お父さんのお仕事は?」と聞くような感覚です。I have no religion.というとほぼ無政府主義者、共産主義者と判断されることが多いです。逆にHe is religious.を「彼は信心深い」ととらえるととんでもない誤解をすることになります。「信仰心が厚い」と訳しても同じです。一番近いニュアンスでいえば「無神論ではない」でしょう。つまり日本と共産主義国以外では宗教を持っている人が当たり前だということで、その宗教の違いが争いの元になっていることを誰もが認識しているので話題にしないのです。そういう一種の縛りのようなものがコミュニティにあるので、日本に来た外国人の多くが日本の宗教的おおらかにホッとしてはまり込むのです。
外国人には日本の習俗とくに旧暦の習俗は不思議に移ります。かえってその違和感にのめり込み日本びいきになる人もいます。本日は旧暦2月8日で針供養の日です。西日本では12月8日の地方もあるそうです。最近は新暦で行うことが多くなり、年2回両方の日のこともあるそうです。針供養というのは折れたり錆びたり曲がったりして使えなくなった針を神社に納めて供養することで、主に女性が参加しました。しかし今や針でチクチク縫うことは趣味を除いて日常ではほとんどなくなり、服の修理もミシンが中心で、最近では手抜きとしてテープで貼るとか接着剤で付けるという方法も行われています。針供養ももうじき廃れる行事なのでしょう。針供養では豆腐とかこんにゃくに針を刺して奉納します。洋裁学校や服飾関係の人は今でも供養しているようです。針に限らず職人は道具を大切にしますから、それぞれに道具の供養をします。筆塚というのもあり筆を納めます。人形を納める人形供養もあります。日本人は物への感謝という文化をもっており、これを多神教とかアニミズムとして低くみるのはいかがなものかと思います。神仏に感謝するように、すべてのものに感謝するその心根が重要でしょう。仏教では悉有仏性(しつうぶっしょう)といい、あらゆるものに仏がある、という考えも日本仏教の特徴の1つですが、この思想は元々日本にあった文化と融合したのだと思われます。
針供養の起源ははっきりしないらしいのですが、そもそも2月8日は事始めで、農業などいろいろな仕事を始める日とされていますから、裁縫仕事もこの日から始めるという意味があるらしいです。昔の女性の家事は炊事・洗濯・針仕事・掃除でした。どれも大変な労働なのでそれぞれ機械が発明され、炊飯器、電子レンジ、洗濯機、ミシン、掃除機ができました。ミシンというのは英語のsewing machine(ソーイングマシン)が訛って借用されたものです。女性の家事労働の軽減は女性の労働力を社会に活用しようという思想から始まったという説もあります。
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