重ね正月
2月1日を重ね正月という風習もあるそうです。1月31日で晦日正月となり正月は終わりかと思ったら、それを利用して、もう1回正月にしようという日です。これも旧暦の考え方の行事なので、本来は旧暦でないと意味がないのですが、新暦になって移されてしまったようです。
この行事の前提には数え歳という考え方があり、正月に歳をとるという昔の習慣の理解が必要です。数え歳にはゼロ歳というのがなく、生まれた瞬間が1歳です。そして1月1日が来ると2歳になります。1月2日生まれの人は2歳になるまでに364日かかりますが、12月31日生まれの人は翌日2歳になります。不平等な感じがするかもしれませんが、同じことは今でも4月1日を挟んでの学年の違いがあるので、区切りがあれば、不平等が起こるのは当たり前のことです。
数え歳を念頭において、次に厄年という考えを理解します。厄年は今でも神社やお寺に厄払いという習慣が残っているのでわかりやすいと思います。そこで本来なら1年間、何事もないように慎重に過ごさねばならない年なのですが、2月1日にもう一度正月をしておけば、厄年は一月で済む、というなんともご都合主義な風習です。数え歳が進むわけではないのですが、いわゆる「見立て」です。それにそもそも厄払いしてもらえば、それでよい、というのもご都合主義です。
本来は晦日正月までに挨拶できなかった人もこの日までに挨拶すれば年始とみなしてもらえる、という温情のような習慣だったみたいです。それを利用した厄逃れの風習のようです。「それなら厄など信じなければいい」という合理主義の人には無用な行事ですが、厄年を信じて今でも厄払いに行く人々が多いのをどう考えるか、です。宗教とか信仰というほど強力な宗教心ではなく、毎日のテレビの占いや血液型の相性など、非合理的な習慣は多く存在し、すべてを迷信として排除することはできません。実際、明治維新で文明開化とばかりに西欧化を図った政府は旧暦の習慣を迷信として排除しようとしたのですが、結局今でも残っているものが多くあります。正月もその一つです。合理的に考えれば一日たっただけのことで、せいぜい年号が変わる程度のことです。伝統や文化を合理的に説明することはそもそも無理です。
重ね正月には一夜正月とか、一日正月という呼び名もあるそうで、現代では意味を取り違えられそうです。それもまた文化ということです。
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