縁故主義とネポティズム
Nepotismは縁故主義と訳されることが多いのですが、英語のニュアンスと少し違うように思っています。身内贔屓(ひいき)と訳した方がいいのではないでしょうか。日本の政治は世襲政治家が多く、これも欧米から見るとネポティズムと感じるようですが、日本の場合は個人的な思想ではなく、社会システムになっていると指摘する人が政治学者や社会学者にいます。アメリカでは今、大統領の政治問題になっているようです。日本の政治でもその兆しが見られます。
ネポティズムは、欧米ではキリスト教的な意味が強いのが特徴です。マタイによる福音書にイエスの言葉として「わたしよりも父や母を愛するような者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。」としており、「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、などと思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、娘をその母に、嫁をしゅうとめに敵対(させるために来たのだ)。」としています。簡単にいえば、家族より自分を愛せよ、と言っています。縁故などというものは 正しい信仰の敵だということです。そしてカトリックの聖職者は結婚したり跡継ぎの子供を作る事は認められていないのは、信仰組織が世襲制によって いつしか自分の子供ばかりを偏愛する者たちの巣窟のようになってしまうような事態を防止する意図もあったとされています。実際、日本の宗教を見ても、その傾向が強くなっていることがわかります。神社や寺が家業になっているケースがほとんどです。
この世襲制度は歌舞伎や能などの伝統芸能だけでなく、製造業や多くの会社にもみられる現象で、日本の文化や社会を構成する思想になっています。それはキリスト教の国から見ると異様にみえるわけです。一見、身内贔屓に見えない徒弟制度も疑似的な親子関係であり、家族的経営の企業は普通にあります。
とはいえ、ネポティズムは民主主義とは相反的です。共産主義国家では家族や縁故者を優遇することも多く、独裁国家ではその傾向が露骨です。中国の太子党は血縁中心の派閥ですし、北朝鮮は金一族支配の国です。
身内という観念はどこまで拡げるかによって違いますが、家族以外でも一門とか、学閥とか派閥などは疑似的な身内意識ですから、ネポティズムは案外深いところにあることがわかります。ただ伝統芸能や一子相伝の技のように伝承として良い面もあるので、一概に否定できないところが難しい問題です。利害関係が絡むと負の面が表れてきます。自分に不利が及んでくると、不条理を感じるようになります。
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