東京都平和の日


空襲

3月10日も語呂合わせが多いのですが、あえて事件の記念日を選びました。

1945年(昭和20年)3月10日深夜0時8分、米軍のB29爆撃機344機による焼夷弾を用いた大空襲が行われ、東京は一夜にして至る所が焼け野原と化し、多くの尊い命が失われました。死者約10万人・焼失家屋約27万戸という、第二次大戦で最大級の被害でした。これが東京大空襲です。広島と長崎の原子爆弾も非人道的ですが、この東京大空襲も1907年の第2回万国平和会議やジュネーヴ条約等で改定・拡張され、今日に至るハーグ陸戦協定、ハーグ陸戦法規に規定された非戦闘員の大量虐殺に当たるという意見もあります。当時の米軍はBC兵器の使用も検討していたようで、日本がその実験場となったのは事実です。そうした非人道的な思想を覆い隠すためか、戦後はすべての日本軍のせいにする政策がとられました。普通なら「東京大空襲の日」として永遠に忘れないようにするのですが、「平和の日」とされてしまい、人々の記憶からは忘れ去られるように仕組まれた言語政策といえます。日本国中の戦争博物館は「平和祈念施設」とされています。諸外国ではどこも「戦争博物館」として敵国の非情さを忘れないものになっていますが、日本はその例外です。

そして3月10日は戦前、陸軍記念日でした。1905年(明治38年)3月10日に、日露戦争の奉天会戦で帝国陸軍が勝利し、奉天(現在の瀋陽)を占領して奉天城に入城した日だからです。戦勝記念日であり、1906年(明治39年)3月10日が第1回陸軍記念日でした。ちなみに日露戦争の日本海海戦で帝国海軍が勝利した5月27日が海軍記念日となっていました。ともに1946年に廃止されています。

1945年の東京大空襲は、この陸軍記念日を狙って実施されたという説もあります。当時の日本で、この記念日にアメリカの大規模な攻撃があるとの噂が流布しており、この噂が後になって事実であるかのように出回っていたようで、日本には事実とする書籍や資料もあるようですが、アメリカ側の資料では確認できないとされています。

連合国側にはそれぞれ第二次世界大戦における戦勝記念日があります。アメリカは9月2日を対日戦勝記念日(Victory over Japan Day)としています。昭和天皇はこの日「降伏文書調印に関する詔書」を発し、降伏文書への署名及びその履行等を命じました。同日、東京湾上のアメリカ戦艦ミズーリにおいて日本側を代表して重光葵外相、梅津美治郎参謀総長、連合国を代表して連合国最高司令官のマッカーサーが降伏文書に署名したことを記念しています。日本が8月15日を終戦記念日としているのとギャップがあります。

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