分点 equinox
3月21日は春分の日です。春分を英語ではVernal Equinoxといいます。分点というのは天球上における赤道と黄道の交点と定義されています。天球celestial sphereとは、惑星や恒星がその上に張り付き運動すると考えられた地球を中心として取り巻く球体のことです。また、位置天文学において地球から見える天体の方向を表すために無限遠の距離に仮想した球面も天球と呼びます。要するに天動説です。ギリシア哲人のアリストテレスの天動説を受け継いで、プトレマイオスは著書『アルマゲスト』において惑星や恒星がその上に存在するとする天球というモデルを考案した。当初は惑星の動きを説明するための純粋に数学的なモデルであったのですが、後にプトレマイオス自身によってこの宇宙の成り立ちを表す実体的概念として扱われるようになりました。当時の宇宙観では地球はこうした幾重もの水晶のような天球に取り囲まれていると考えられていたわけです。それに対して地動説を唱えたコペルニクスは、宇宙は惑星が運動する入れ子になった球体と恒星の天球(恒星天)とに取り囲まれていたと考えていました。コペルニクスはプトレマイオスの天球からの逸脱を少しでも減らし、太陽系に調和を取り戻そうとした試みであったといえます。一方で、地球が公転するとしたにも関わらず恒星の年周視差は観測にかからなかったため、コペルニクスの体系では恒星天が惑星の天球よりもはるかに大きなものと考える必要が生じてしまいました。ディッグズは恒星天を取り除き恒星がちらばる無限の宇宙を導入し、ガリレオは恒星天があまりに巨大だとして自らの天球図に描き込みませんでした。
そしてケプラーが火星、そして他の惑星の軌道が楕円であることを示した。ケプラーは恒星天の存在は維持し宇宙は有限であると考えていたのですが、ティコ・ブラーエの行った彗星の観測によって惑星の天球の考えは捨てねばならないことに気づき惑星の動きが完全な図形としての球を基準とすることはありえなくなり、天球を実体として保持し続けることはできなくなったわけです。天動説から地動説に変わったという単純なことではなく、長い研究と観察の末の結論であったわけです。
それでも暦の計算をする場合は、地球を中心として天体が動くという天動説的な説明の方が都合が良いのも事実です。地球から無限大の距離にある球への射影をおこない、天体はその上を動くものとした方がわかりやすいのです。占星術では今も天球を用いていますし、春分、秋分、冬至と夏至という位置を説明するのも簡単です。巷間では昼の長さと夜の長さが同じといったさらに簡略化した説明になっていますが、それでも生活習慣上は問題ないわけです。昔からそれに合わせた行事があり、経験則でもあり科学的でなくてもよいこともあります。(参考https://ja.wikipedia.org/wiki/天球)
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