グレゴリオ暦の歴史1
新暦といわれているのはグレゴリオ暦という「ローマ教皇グレゴリウス13世がユリウス暦の改良を命じ、1582年10月15日金曜日から行用されている暦法である。グレゴリオ暦は、現行太陽暦として日本を含む世界各国で用いられており、グレゴリオ暦を導入した地域では、ユリウス暦(旧暦)に対比して新暦(ラテン語: Ornatus)と呼ばれる」(wikipedia)のことです。日本では旧暦といえば明治5年まで利用されていた太陽太陰暦のことをさしますが、キリスト教圏では旧暦とはユリウス暦のことです。従って、日本以外でも非キリスト教圏であるアジアでは旧暦は日本とほぼ同じ意味です。ただ日本の旧暦は日本独自に発達しましたが、広い意味の中華圏では中華歴を意味し、今でも旧暦の行事が施行されています。インドは複雑で、国が定めた統一暦として国定歴がある他、ヒンドゥ暦やイスラム暦を使用する人々もいます。そもそもインドは民族や言語や宗教も多数あり、カーストも残っていて、なかなか統一が難しい国です。
このように暦というのは宗教と深い関係があります。その意味では明治5年に政府が旧暦を捨て、西欧化ということでキリスト教暦を導入したのは、室町時代から江戸時代にかけて日本を植民地化しようとしていた西欧の目論見を、日本自ら進んで引き込んだともいえるわけです。そして日本国民はうまく洗脳されたともいえるわけで、現在は完全に西欧文化圏となっているといえます。しかし伝統的な行事というのはそうやすやすと失われません。そこで旧暦の行事を新暦に読み替えて実施するということが行われています。そもそも、その日の行事はその日に行うことに意味があるはずなのですが、旧暦を新暦に読み替えるという便法で、今では新暦で実施することが当たり前になっています。
西欧でグレゴリオ暦がなぜできたかというと、キリスト教最大の行事である復活祭の日が春分と関わっていることにあります。新約聖書のヨハネによる福音書ではイエス・キリストの処刑と復活の記述はユダヤ暦に基づいていて、処刑日はユダヤ教の過越しの日の前日すなわちニサン月14日または過越祭第一日目の同月15日となっています。ユダヤ暦ニサン月は春分の頃に来る太陰月です。ローマ帝国領では紀元前45年にユリウス・カエサルによって制定された太陽暦であるユリウス歴が採用されていて、初期の教会ではさまざまな方法が採用されており、ユダヤ暦ニサン月15日に祝う教会や、曜日を重視してニサン月14日の直後の日曜日を復活日とする教会もあったそうです。ユリウス暦と太陽年にはずれがあり、春分日が毎年ずれていきました。復活祭日が太陰月日(月齢)だとすると、ユリウス暦3月21日の月齢次第で、復活祭日の季節が1ヶ月前後してしまうという問題が生じます。実は今でも復活祭は毎年違います。
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