旧暦の生活
今月は閏2月です。今年は2月が2回あります。昔の人はどう思っていたのでしょうね。2月には立春とか節分という行事がありますが、2回やっていたのでしょうか。どうもそのようですが、選択性もあったようです。9月の月見などがある場合は、前の十五夜、後の十五夜と呼んで、2回楽しむ習慣もあったようです。そもそも行事は義務ではないですし、楽しむことが前提なので、選択的でよいわけです。そうした精神的な余裕のある生活でした。立春や節分の豆撒きも、2度やりたければやってもよいわけです。あるいはお彼岸の墓参りも、と思う人もいるかもしれませんが、実は立春や彼岸のような行事は太陽暦なので、二度はありません。なかなか一筋縄ではいかないようです。
しかし日本文化は融通無碍(ゆうずうむげ)ですから、こだわる必要もないといえばないわけです。おそらく昔の人々はこうした緩いしばりのなかで、習慣を楽しんでいたのだと想像しています。現代人の方がルールに縛られた生活をしています。
閏月の挿入方法はきちんとしたルールがあるのですが、これは経験則に基づいて歴史的に長い時間をかけて、時間のずれを修正する方法なので、かなり複雑です。資料を見ながら理解しようとしたのですが大変でした。閏月が3年に1度とか、19年に7回というあたりまではわかりましたが、二十四節気の節気と中気を絡めて、閏月を決めているあたりから、計算が複雑でなかなか理解が大変でした。結果として、表を見るのが一番早く、原理は専門家に任せておこう、という気になります。昔は天文方という専門家や神社などに暦の専門家がいて、暦として発売していました。人々は暦を買って、それを見ながら、習慣的な行事をしていたのでしょう。今年は閏2月があると知れば、そうなのだ、と素直に受け入れていたと思われます。
考えてみると、現代でも自然科学の法則など、原理まで追求する人は稀で、専門家がいうことをそのまま信じていると思います。それを盲信として蔑む必要はないと思います。そしてその法則や知識が、科学が進むにつれて変わっていっても、そのまま受け入れているのではないでしょうか。近年はやりの健康ブームでもテレビ番組やCMを見て国民は俄か栄養士になっています。そして基礎となる科学が変化すると、それに影響を受けることになります。それだけに情報提供する側には責任があります。しかし反面、それほど情報に頼ることなく、融通無碍に受け入れていくことの楽(らく)さを考えてみてもよいと思います。閏月をその機会にしてはどうでしょうか。
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