難民
6月20日は世界難民の日World Refugee Dayで2001年に制定されました。比較的新しい国際デーです。元はアフリカ統一機構の『アフリカ難民条約』の発効の日であったのですが、アフリカ地域およびアフリカ以外の地域での難民問題の深刻さに注目し、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)らの申し出により、『世界難民の日』が制定されることとなったわけです。難民そのものはもっと以前からありましたが、近年だんだん深刻な問題になってきています。
ところで難民と避難民の違いをごぞんじでしょうか。最近話題のウクライナから日本に来た人はどちらなのでしょうか。UNHCRでは国外に逃れた人を「難民」refugee、国内で避難した人を「国内避難民」Internally Displaced Persons: IDPs」と使い分けています。しかし1951年の難民条約などによって「人種、宗教、国籍、政治的意見、あるいは特定の社会集団に属するという理由で、自国にいると迫害を受けるおそれがあるために他国に逃れ、国際的保護を必要とする人々」と定義されています。それに対して「避難民」には漠然とした定義しかなく、「天災や戦災などから避難した人々」を意味しています。そこでウクライナから逃れてきた人を国際法上の難民に認定してしまうと、定住資格を与えることになります。一方で、ウクライナへの支援は必要で、国際的な体面を保つためにもアクションが国際的に求められています。そこで政府が考えだしたのが『避難民の受け入れ』です。日本の政策と国際政治の現状の“ねじれ”から生まれた概念といってもいいかもしれません。もちろんウクライナの人たちを助けたいという思いは偽らざるものだと思いますが、『避難民』という言葉が日本の難しい立場を反映したものだということは理解しておくべきと立命館大学国際関係学部の嶋田晴行教授は述べています。避難民を受け入れる中で課題になるのは就労と言語(日本語)だと嶋田教授は説明しています。どこの国でも元いた国での資格や経験をすぐに生かせるようなシステムになっていません。そして雇用が不安定であれば当然生活は苦しくなります。だからといって、そうした人々の雇用を優遇すると『自国民でも職探しに困っている人がいるのに』という話になるのは当然のことです。どこの国でも同じような発想で移民に対する反発が高まっていく、というのが現状ですし、日本でもそうなっていくでしょう。日本で暮らす外国人が最初にぶつかる壁が日本語で、日本語ができないと職探しもままならないのが現状です。もちろん政府も黙って見過ごしているわけではないのですが、言語教育は時間がかかります。その期間の生活保障をどうするか、という問題もあります。また避難民自身もすぐに本国に帰るつもりであれば、真剣に学習しようという気になれません。とりあえずの衣食住がなんとかなればそれでいいと考える人が多いのです。子供の教育も問題です。避難生活が長期になればいつまでもお客様というわけにはいきません。かといって本国の文化や宗教、歴史などを捨てるわけにもいかず、国民としてのアイデンティティの問題が出てきます。また帰化せずに住民として居続けるには、差別も含めていろいろな人権問題がでてきます。とくに宗教の違いは大きな影響をもちます。最近はイスラム教徒の人々が土葬する墓地を求めて奔走しているそうです。ユダヤ教やキリスト教も本来は土葬です。こうした難民・移民・避難民問題は日本がいやおうなしに国際紛争に巻き込まれていくことで、これもグローバル化の1つの側面です。
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