終戦記念日


終戦記念日

8月15日は終戦記念日です。日本ではこの日に玉音放送があり、天皇から国民に敗戦を伝えたことをもって終戦としています。どの時点をもって敗戦とするか、についてはつねに議論になります。日本の敗戦は連合軍のポツダム宣言を受諾したことをもって敗戦とするというのが国際的な認識なので、論理的には9月2日に降伏文書に署名しているので、その日を終戦とするのが正しいのかもしれません。しかし8日15日の玉音放送をもって、日本軍は戦闘を停止しているので、日本側がこの日をもって終戦とするのは感情的にも合致しているといえます。

しかし戦争というのは論理的なものではなく、こちらが止めたといっても、相手の合意がないと停止しないものです。戦う意思のない者を一方的に攻撃することは卑怯だ、といってみても、そもそも戦争における戦闘に卑怯とか、フェアでない、といっても始まりません。よほど非人道的行為でないと戦争犯罪に問われることはありません。その戦争犯罪についても勝利者側が一方的に決めることが多く、敗戦側が戦勝側の戦争犯罪を糾弾することはまずありえません。日本の敗戦の場合、東京裁判があり軍事法廷において戦争犯罪が裁かれています。その結果、多くの戦犯が処罰されたのですが、後に一部が処罰を免除されていますから、明らかに過剰な処罰であったことが明確です。戦争において、戦勝側が敗戦国の元首を死刑にしたり、賠償金を取るのが認められています。今はなくなりましたが、昔の戦争では、敗戦国の国民は戦勝国の奴隷になりました。敗戦すると領土が奪われ、主権が奪われるのは古今東西の普遍的現象です。無論、敗戦国は納得しているわけでなく、従わざるをえないだけであり、捲土重来を期すのが普通です。感情的なリベンジの意味もあるかもしれませんが、戦争前までもっていた当然の権利が奪われたのですから、取り戻そうとするのは当然です。問題は奪われた領土に戦勝国民が移住し、主権をもつようになった場合、戦前からの住民と新住民とで争いが起こるのは当たり前です。経済格差や宗教の違いがあれば、なおさらです。これが新たな戦争の火種となります。こうした領土と主権の奪い合いの歴史が長くなればなるほど、確執は深いものになります。

地球上のあらゆる地域で、こうした紛争の種が蔓延しているのですが、日本は偶然か幸運なのか他国に侵略され、領土と主権を奪われた経験があまりありません。せいぜい国内の勢力争いで外国からの攻撃、とくに西欧からの攻撃はわずかです。元寇や薩英戦争でも領土や主権が奪われるまでには至りませんでした。薩英戦争では多額の賠償金をとられ、それが戊辰戦争へとつながりましたが、日清、日露でも戦勝しましたから、太平洋戦争が初めての領土と主権を奪われた戦争ということになります。しかし再戦争により独立したわけでなく、領土もかなり返還されたことにより戦勝国への恨みはほぼない状態になりました。例外が原爆被害です。

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