受信者の意味論4 文学的手法
受信者が意味を心理的にどのように構築していくかを間接的に観察する方法は昔からありました。厳密にいえば、受信者の心の観察そのものではなく、発信の一部ともいえますが、読み手をあまり意識せず、自省的な表現で心の中を記述している文献があります。
たとえば「徒然草」では「心にうつりゆく、よしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば」と書いており、自分の心の中の動きを観察して、記述しよう、ということを宣言しています。この文献のすべてが自省的とはかぎりませんし、実際、発信している個所も多いので、よく注意して分析しないといけません。このようないわゆる「随筆」として「方丈記」など、いわゆる隠遁者の日記類には内省的な記述が多く見られます。
また和歌や俳句などにも、風景を見た時の印象がまとめられています。それらの詩歌を読んだり、聞いた時、読者に共感が沸くのは、受信者の立場からの記述であることが読み取れます。芭蕉の「静かさや、岩に染み入る蝉の声」や「古池や蛙飛び込む水の音」を見ると、直接的な意味だけだと「それがどうした」と言いたくなるような文言ですが、背景を想像させる再現性があり、それが共感を呼ぶと考えられます。無論、基盤としての言語技術があり、韻律を踏襲することで、文化的なインパクトもあるので、純粋に受信者の心の観察といえるかどうかには、疑問の余地はあります。
読み物として「〇〇の告白」というジャンルがあります。これも厳密な意味では発信なのですが、心の中を内省して記述していることが多く、実際には本人が記述していることは少なく、ライターがインタビューした内容をまとめたものがほとんどです。ライターは聞き手なので、ライターが感じたことを書いている点では受信者の立場ということもできます。
たとえば「中途失聴者の告白」のような読み物では、他人がなかなか想像できない心の中の葛藤などが表現されており、具体的事実も記述されているので、状況の把握もでき、それに対する反応や行動が記述されていることが多いので、慎重に分析すれば心の形成の仕組みの解明に貢献できるのではないかと期待できそうである。
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