閻魔賽日と藪入り


閻魔大王

旧暦睦月と文月十六日は閻魔賽(さい)日です。この日は藪入りでもあります。閻魔は死後の世界において人々の善悪を裁くとされる閻魔大王です。この日は地獄の釜の蓋が開き、亡者たちが一時的に苦しみから解放されるとされています。地獄も藪入りなのです。この日に閻魔大王を祀る寺院へお参りし、罪や過ちを犯した人々が、自らの行いを懺悔し、閻魔大王に赦しを乞うために訪れるのです。普段の生活で罪や過ちを犯したことのない人などいないでしょう。閻魔参りは自己反省と更生の機会を提供する、精神の禊の日とも言えます。罪というのは刑法に触れることだけではありません。仏教では五戒といい、不殺生(ふせっしょう)・不偸盗(ふちゅうとう)・不邪婬(ふじゃいん)・不妄語(ふもうご)・不飲酒(ふおんじゅ)の5つです。殺してはいけない、盗んではいけない、のは刑法にも触れるので普通の人は犯さない罪ですが、みだらな性関係、嘘をつく、酒を飲む、は刑法には触れないので、平気でしている人が多いと思います。これは僧侶のような修行のことではなく、在家信者という世間の人々が守るべき戒律であり、僧侶には更に厳しい戒律があります。五戒を犯すことはいけないこと、と昔の人は信じていました。今でも淫乱になったり、嘘をついたり、大酒を飲むことがよいことと思っている人はほぼいないと思います。つまり普通の人々はどうしても罪を犯してしまうのです。その結果、死後はすんなり極楽往生ができるのではなく、まずは閻魔大王の裁きを受けなければなりませんが、そこで多くの罪を犯していれば地獄行きが決まるわけです。嘘をつけば舌を抜かれるという刑罰があります。そこで閻魔賽日に閻魔参りをして、予め謝っておき、反省するわけです。年に2度その機会があった昔は、まじめな人々は日々反省し、正しい生活を送ることができたわけです。仏教が廃れた今は、ほとんどの人が罪を犯すことに抵抗がなくなってしまい、刑法に触れなければ問題ないようなことを平気でいうようになりました。また罪がばれると平気で嘘をついて逃れようとします。「嘘をついたら、閻魔様に舌を抜かれるよ」と言われて、怖がる子供はいなくなりました。大人でさえ、バカにするようになっています。その意味を理解する心さえ失ってしまったようです。

藪入りはその前後に奉公人が休みをもらって実家に帰る日です。年2回の休暇というと奴隷労働だと思うのは現代人の誤解です。子供のような奉公人はたいした仕事ができなくても食事と寝場所と衣服を与えられ、仕事を教えてもらいます。だんだん大人になって仕事ができるようになると、給金ももらえ、通いも可能になります。さらに経験を積むと、暖簾分けといい、資金援助を受けて独立できるようになります。西洋のような奴隷労働とは根本的に労働形態が異なります。今では多くの人が給料をもらって仕事をし、有給休暇や育児休暇など仕事を休む日が多くなりましたが、果たして奴隷労働のようなブラック企業がなくなったかというとそうではありません。そして商人にはそういう制度はありません。現代の労働環境が昔より幸せになったでしょうか。

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