初庚申


庚申塔

今年の新暦2月26日、旧暦1月17日は干支の庚申になり、今年初の庚申となります。ちなみに今年の庚申は2月26日、4月26日、6月25日、8月24日、10月23日、12月22日です。干支は60日で1周しますから、60日毎にあります。新暦は月の日数が不規則なのでわかりにくいですが、旧暦は30日毎なので、すぐにわかります。

庚申の習慣が日本に伝わったのは平安時代だそうですが、庶民に広がったのは江戸時代です。庚申塚はその名残りで、全国にありますから、近所を散歩してみると、道端や神社の隅などに合掌姿の石仏が見られると思います。これは庚申講という地域で集まって庚申の日を過ごした庚申信仰の痕跡です。石仏をよく見ると、江戸時代の元号が刻まれていることが多いです。地域の郷土資料館に行くと解説があるかもしれません。庚申信仰は、道教に説く「三尸説」(さんしせつ)を元に、密教や修験道、民間信仰や習俗などが組み合わさって成立したものとされています。

三尸説とは人間の体内には三尸という三匹の虫がいて1年に6度ある庚申の夜に人が眠っている隙をついて三尸の虫が体内から抜け出し、その人間の罪や悪事を天帝(閻魔大王)に告げ口をし、閻魔大王が命を縮めてしまいます。そのため人間は早死にすると考えられていたのです。なので庚申の夜に寝なければ、三尸は体内から出ることができないので、庚申の日に徹夜すれば、早死にを免れて長生きができるとされていました。

庚申講は信者の村人が庚申の日に集まり、神仏を祀って徹夜をしました。これを庚申待(こうしんまち)といいました。庚申待ちでは酒宴をすることも多かったそうですから、楽しみでもあったようです。庚申講を3年18回続けた場合に庚申塚が建立されました。明治時代に政府は庚申信仰を迷信として街道筋に置かれた庚申塔を中心に撤去してしまい、道路の拡張整備工事によって庚申塔のほとんどが撤去や移転されてしまいました。今でも残っているのは町が古い証拠ともいえます。近代化や再開発と称して、やたら古いものを壊してコンクリートの建物を建てていくことが本当に住民の幸福につながるのか、その反省の機会が庚申塚巡りかもしれません。

庚申塚の正面に安置されている、怖い顔の仏は青面金剛(しょうめんこんごう)明王です。一般には、足元に邪鬼を踏みつけ、六臂(二・四・八臂の場合もある)で法輪・弓・矢・剣・錫杖・ショケラ(人間)を持つ忿怒相で描かれることが多いとされます。 頭髪の間で蛇がとぐろを巻いていたり、手や足に巻き付いている場合もあり、どくろを首や胸に掛けた像も見られます。 彩色される時は青い肌に塗らます。不動明王と似ていますが、由来が別です。密教では真言もあり、「おん・でいば・やきしゃ・ばんだ・ばんだ・かかかか・そわか」といいます。「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿像と共に描かれることが多いです。この「サル」という意味から、猿田彦が彫られていることもあります。他にも猿の縁起物や「さるぼぼ」が飾られることもあります。

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