教師の姿勢と立ち居振る舞い


授業中の先生

日本では教師は教壇の上に立つか、教壇がない場合でも、立って話すのが当たり前になっています。そのことに疑問をもつ先生はまずいないと思います。人前で大勢の人を相手に話をしようとすると、自然に立って話すのは人間の本能なのかもしれません。聴衆みんなから見えること、みんなが見渡せることにお互いに安心感があります。話す場合だけでなく、歌う場合でも同じことが起きます。お互いに「見える」ことが重要で、人間の認識が視覚優先であることに原因があるのかもしれません。立っているだけでなく、対面であることも重要で、横向きや後ろ向きでは抵抗感があります。舞台の歌手はできるだけ目線をあちこちに配って、多くの人に語りかけているような技術を駆使します。指差しで「あなた」を意味する仕草も加えて、時には指差しの方向と顔を向ける方向をずらして、一人でも多くの人に語りかける技法を用います。

これらの技法は教師としても援用できるものです。知らず知らずに使っている人もいると思いますが、技術として学び、意図的に使用することも必要です。教職課程などで、どの程度、指導されてるのがわかりませんが、実践的指導はほとんどなされていないと思われます。教職課程ではいわゆる座学中心で、教科書や参考書などの書籍で学ぶだけで、実際に学生同士のグループで実践練習したり、教授が指導していることはまずないと思います。理由は「時間がない」からで、教職課程は正に大量生産、個別指導などする余裕はない、のが実情です。そして教員免許状の大量生産の結果、教員にならない「免状持ち」が多いのも特徴的です。他の免許で実際に使用しない人、たとえば運転免許証をもっていても運転しないペーパードライバーはそれほど多くないと思います。普通はその技術を使って仕事をするための免許なので、使わないのに免許を取るのはお金と時間の無駄なのですが、教員免許はなぜか「たんなる資格」と捉えられています。医者や法律家の資格をペーパー資格にしている人はまずいないでしょう。教員免許状の大量生産の結果、生産過程である教職課程が雑になっているのは本末転倒ということになります。

教育現場における教師の姿勢や立ち居振る舞いは生徒の心理に大きな影響を与えるのですが、日本の教育では教科内容ほど重視されていないのが現状です。その原因は教育現場もコミュニケーションである、という視点が欠けていることにありそうです。先生の語りかけが大切という割には語りかけの技術が指導されることはありません。先生の個性に任せている、といえば聞こえはいいですが、放置しているのが実際です。よく「机間巡視」という教育用語が指導されますが、どのように、どの順番で、いつ、といった具体的な指導がありません。「机間巡視はクラス全体の学習状況を把握し、生徒たちの学習意欲を高めるために行われます。」(https://timewarp.jp)のような定義を習うだけで、具体的にどうするかは書かれていません。実はどう行動するかが大切なのであって、そのための立ち居振る舞いを教わらないと役立たないのが実情です。

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