主観と客観


主観と客観

主と客という概念は昔から日本にあったものではなく、ヨーロッパの文化を採り入れる際の輸入概念で訳語です。英語でいえばsubjectとobjectです。英文法ではそれぞれを主語、客語といいます。客語は目的語という訳の方が浸透しています。厳密には客語と目的語の定義は違いますが、専門家でもないかぎり区別は不要だと思います。

Subjectには多くの意味があり、日本語では主題、問題、題目、題材、画題、(写真の)被写体、(学校の)学科、科目などがあります。語源として、subは下という意味で、地下鉄subway、潜水艦submarineなどから想像できます。Objectも物体、対象、目的、目標などの他に動詞になると、反対する、異議を唱える、という意味があります。Ob-は前方という意味なので、subとobは必ずしも対語ではありません。Jectは投げるという意味です。Projectionは投影、発射などの意味があり、injectionは注射、空気の噴射、という意味がありますから、概念が想像できると思います。つまり西洋語において、subjectとobjectは対立的な語源があるわけではないのですが、日本語では主と客と訳されたために対立的なニュアンスがでてきてしまいました。従って主観的、客観的という訳語になったsubjective, objectiveという形容詞になった時に、対立的な意味が出てくるという側面だけが日本語の中に強調的に導入されている、という現象が読み取れます。主観的と客観的を分ける基準は英語だと個人的な感情や偏見が入るかどうかになっています。自然科学の世界では物理的現象が優先であり、思索的な論理はできるだけ排除することが原則ですから、日本は明治維新によって西洋文明を採り入れるのに、都合がよかったのだと思えます。思想や文化を採り入れるには文化的障壁や言語、宗教、習慣などが違うとなかなか難しいものがありますが、「文明」と称して技術だけを取り込むには、唯物論的な志向が都合がよかったわけです。こういう物理的世界をギリシア哲学から始まる西洋の思想世界では形而下的physicalといい、思索的な世界を形而上的metaphysicalといい、優劣をつけてきたのですが、日本ではあまり広がらず、そもそもその訳語も難しすぎて、今でもあまり普及していません。Metaの方はアメリカのITの会社名になるほど普及している概念で、現代でもメタバースやメタ言語のようにカタカナ語で広がっています。Metaphysicsの訳語は形而上学という用語の他は「(難解な)抽象(的議)論、机上の空論」(wblio)のように否定的なニュアンスとして紹介されています。形而上学は西洋の思想界では批判も含めて重要な位置を占めていますが、しばしば唯物論者から唯心論と混同され、とくに毛沢東などの共産主義者から強い批判を受けました。そうした思想的偏見が日本にも影響を与えているのかもしれません。形而上学では理性を重視していますから、感情的に流れるだけではないのですが、日本では形而下的思考が優先され、それが理系重視、文系軽視という現代の流行につながっているといえます。その影響が主観、客観という概念にも影響を与えていると思われます。

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