弥生満月
旧暦ではようやく弥生の真ん中、満月日になりました。季節は初夏を思わせるような暖かさで、桜も東西日本では散り始め、北日本が満開となっていて、今年は季節の移り変わりが早いような気がします。童謡の「さくらさくら」の歌詞の二番では「さくら さくら、やよいの そらは、みわたす かぎり、かすみか くもか、においぞ いずる、いざや いざや、みにゆかん」となっています。花見に行くのは弥生の季節ということを歌っています。この時期には雲のような霞が立ち、桜の匂いもしてくる、という歌詞は視覚や嗅覚にも訴えてくる情緒のある詩だと思われます。
今では夜桜といえば、ライトアップ、人工の強い光で装飾するのが流行りですが、もし満月であれば、月の光でうっすらと光る夜桜は一層ロマンチックだと想像します。また満月が見えるような晴れた空であれば、薄白の桜の間に煌々と光る満月が見えるのですから、さらにロマンチックだと思います。ライトアップを否定するわけではありませんが、徒然草の兼好法師が「神無月のころ」の中で「大きなる柑子の木の、枝もたわわになりたるが、周りをきびしく囲ひたりしこそ、少しことさめて」と書いているように、興ざめなことは確かです。兼好法師はみかんの木の周りに囲いがしているだけで興ざめだとしているくらいなので、ライトアップを見たら、どう思われるでしょう。時代が違うといえば、それまでですが、自然に対する感覚というのは文化として残っていると思っています。
日本人が桜好きなのは世界的に知られているようですが、近年は外国でも桜への関心が強いようです。ワシントンのポトマック河畔の桜並木は日本から贈られたものだそうですが、アメリカ人も満開の桜を楽しんでいるようです。最近のインバウンド・ブームで日本にやってくる外国人観光客も富士山と桜の組み合わせを喜んでいるようです。また桜の名所に来てスマホで写真を撮っている姿がよく報道されます。そのほほえましい様子は、爆買いに興じる以前の観光客よりは、はるかに日本にとってよいことだと思います。ソメイヨシノは接ぎ木によって作られる人工的な花ですが、大きくなれば同じことですから、植木職人の苦労を偲びつつも、その成果を自然として楽しむことは間違っていないと思います。無論ソメイヨシノだけでなく、オオシマザクラやヨシノサクラや山桜も美しさは変わりませんから、時期が少しづつずれて、いろいろな桜が楽しめるというのはありがたいことです。そのありがたさをかみしめる意味でも、桜の木の根元を踏んだりして痛めつけるのは避けたいものです。とくに花見で桜の木の下で宴会をしたいという気持ちはわかりますが、根を避けて毛氈を敷くくらいの配慮はほしいものです。落語の「長屋の花見」のように、大根のかまぼこ、沢庵の卵焼き、おちゃけ、で洒落るのもオツかもしれません。ビニールシートの上でバーベキューをしながらビール、というのを否定はしませんが、オツという感じはしません。オツという感覚も残しておきたい日本の伝統文化です。
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