言語と自己同一性
近年はLGBT問題など、「自分はどういう人間か」というアイデンティティの問題がよく議論に上ります。LGBTは性同一つまり「自分の性は何か」という心の問題とされていますが、多くの場合、生物学的性と心的同一性は一致しています。しかし一致しない人がいて、それが社会的差別を受けることへの解放運動ということができると思います。しかし言語表現を見るとLGBまでは性行為における嗜好の問題で、アイデンティティとは直接関係なさそうです。そしてTは性転換の意味なので、まったく別のジャンルの問題です。日本では政治的な運動との関係からか、概念が混同したまま、一括りに議論される傾向が見られます。とくにアイデンティティとは何か、という観点が抜け落ちていることもあります。アイデンティティidentityは英語からの借用語で、日本語訳は自己同一性となっています。Identicalは「同一の」という意味なので、本来はself-identityというところのselfを取ってしまったことが誤解の原因かもしれません。Identifyとは「識別する」という意味ですから、「同一」かどうかだけでなく、「同一でない」ことも識別します。よく例にだされるUFOはUnidentified Flying Object(未確認飛行物体)の略で、「宇宙人の乗り物」という意味は全くありませんが、日本ではいつの間にかそうなってしまいました。こうした英語の概念を元に考えると、アイデンティティというのは「どういう存在かわかっている」ということで、自分がどういう存在かを自分が認識していることがアイデンティティということになります。「私は日本人だ」と言う人は自分が日本人という社会的属性をもっていることを認識している、ということです。認識というのは確かに心の問題で主観です。客観的に見れば「誤認識」でも主観的にそう認識していることもあります。それでもいわゆるアイデンティティに変わりはありません。あくまでも個人の主観の問題です。問題はその主観を他人に認めさせようとすると、いろいろ悶着が起こります。人は誰でもそれぞれの価値観があり、その価値観に沿ったイメージをもっていますから、ある人がアイデンティティを主張しても認められないこともあります。それは人権問題として強く主張しても同じことです。ところが現実にはそういう人を応援する団体があって、社会問題として提起し、社会が認めるような運動をすることがよくあります。それを認めるかどうかも主観の問題なので、強制することはできません。いわゆる「心の問題」なので「内心の自由」があり、法律や社会で強制することは独裁国家でもないかぎり、できないものです。
自己同一性を主観的に認識する際に大きな役割を果たすのが言語です。その抽象的な存在である心の問題を外在化するには言語によるラベル化が必要です。記号化と呼んでもいいかもしれません。LGBTにせよ、男女にせよ、区別する記号やラベルがないとアイデンティティとして認識されないのです。そして使用言語そのものがアイデンティティとなることもあります。「日本語を話すから日本人」のような例です。そもそもアイデンティティも言語記号です。
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