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成人教育3

成人教育を日本で生涯教育と言い換えたのには何か理由がありそうですが、おそらくは諸外国と比べて概念が違うと思ったからでしょう。 まず多くに国において、識字教育という問題があります。日本は識字率が高い国で、その理由は移民が異常に少ないことにあります。識字率が低いのは主として貧困と移民が原因です。学校に通えない子供が多い国では必然的に識字率が下がります。また移民が多い国では、その国の言語の文字が読めない・・・

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成人教育2

成人教育の必要性は日本政府が独自に発想したものではなく、実は国連などの国際機関からの勧告によるものです。日本ではリスキリングと言い換えられていますが、本来はリカレント教育といわれているものです。リカレント教育とは、義務教育や基礎教育を終えて社会人となっても、スキルや能力向上、新しいキャリアの選択などの人生の再設計を行い教育機関に戻って学ぶことができる教育システムを指します。これは1970年代に経済・・・

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成人教育

成人教育adult educationについて、日本はかなり遅れています。アダルトというとアダルトビデオに見られるように、性的な意味が強くなってきているせいか、アダルト・エデュケーションという表現自体、日本ではほとんどみません。あれほどカタカタ好きの官僚にしては珍しい現象です。成人教育は生涯学習という表現に変えられています。文部科学省が定めている生涯学習とは「大人になっても学習を通じて自己の人格を・・・

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知育・徳育・体育

少し前まで知育・徳育・体育という三育が重要ということがいわれてきました。とくに根拠もなく戦前の古い教育だと思う人もあるようですが、実際には、三育の思想はイギリス発祥です。ハーバート=スペンサー(1820~1903)が1860年の論文『Education; Intellectual, Moral, and Physical』の中で提唱した概念です。日本語訳が知育・徳育・体育です。 戦前の思想というこ・・・

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ナチュラルアプローチは同化主義

バイリンガル教育はアメリカの他民族に対する公用語教育です。時々誤解されるのですが、アメリカ国内で英語なしに教育を受けることができる、ということではありません。それではモノリンガル教育になってしまいます。二言語とは英語とそれ以外の言語、という前提を忘れてはならないのです。ただ誤解される理由の1つが、アメリカにおける同化主義と多文化主義という思想の対立にあります。「アメリカは人種のるつぼ」ということを・・・

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バイリンガル教育

日本で誤解されているものの1つがバイリンガル教育です。二言語教育と聞いてもピンと来ない人がほとんどだと思います。日本でバイリンガル教育を唱える人は聴覚障害児教育において手話を導入しようと主張する人々です。本家ともいうべきアメリカのバイリンガル教育はアメリカ国内に英語の話せない国民が多く存在し、その児童も含めて、英語をどのように習得させるか、という目的で考えられたものです。その対象は移民の児童で、英・・・

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ホイスコーレ

日本が手本にしたがる北欧の制度ですが、福祉について言及する人が多い割に、その基盤となっている教育制度はあまり知られていません。その1つがホイスコーレです。日本にもその紹介機関である一般社団法人IFASがわかりやすい解説をしていますので、そのホームページを引用しつつご紹介します。「フォルケホイスコーレとは、北欧独自の教育機関です。フォルケホイスコーレの特徴は、試験や成績が一切ないこと、民主主義的思考・・・

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コミュニティカレッジ

アメリカ独特の制度にコミュニティカレッジというのがあります。カナダにもあるようですが、アメリカの制度を模倣したものです。コミュニティというのは日本では誤解されている語の1つですが、ここでは地域コミュニティの意味です。コミュニティカレッジは郡や市などが一般市民向けに開設している公立の短大で、入学基準は緩く、費用も安いので、誰でも通える学校です。若い学生は少なく、学生の多くは社会人か一旦休職している人・・・

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アメリカのハイスクール

アメリカのハイスクールの様子を描いた映画をご覧になったこともあると思います。日本の高校とかなり違う雰囲気を感じられたと思います。根本的な違いはアメリカが自由服であるのに対し、日本では制服がほとんどです。そしてハイスクールの方がなんとなく大人っぽい雰囲気です。体格のせいもあるかもしれませんが、髪型や化粧などアメリカの子供は早くから大人っぽい感じになります。両者の違いは文化の違いが反映していますが、行・・・

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アメリカの入学試験

アメリカそしてヨーロッパの国々では、基本的に入学試験という制度がありません。むろん希望すれば誰でも入れるという訳ではなく、たとえば大学入試であれば、高校卒業資格のようなものが必要です。日本のセンター試験に似た制度で、全米統一ではありませんが、州ではほぼ統一された試験ですが、日本のような一発勝負ではなく、平常点などが基盤になっているところがほとんどです。アメリカでも人気のある大学では入学にも競争があ・・・

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アメリカの入学と卒業

アメリカの大学にも入学試験がありますが、日本とはまったく異なります。アメリカだけでなくヨーロッパの国々やアラブ圏、アフリカ圏、アジア圏や南米など、世界のほとんどの国と異なっています。入試が過酷なのは日本、韓国、中国など東アジアの一部だけです。なぜ入試が過酷かという理由は簡単で、需要(入学希望者)と供給(定員=合格者)のバランスが需要に偏っているからです。日本でも戦前の入試はそれほど過酷ではなく、過・・・

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アメリカの夏休み

アメリカの学校は小学校から大学まで、概ね5月中に学年が終了します。州ごとに違うので日本のように一律になっていません。大学は概ね5月15日が卒業式だったところが多く、翌日から夏休みになります。夏休みといっても、その期間に夏季学期があり、講義に出る学生もいます。またこの時期だけ、他の大学の夏季学期に参加して単位をとることもあります。夏は暑い南部を避けて北部や山岳地域の大学に行ったりします。日本では他大・・・

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六三三四制はいつまで?旧制はなぜ止めた?

現在の六三三四制は1947年の教育基本法、学校教育法、そして1949年の国立学校設置法によって既存の高等教育機関および帝国大学を併合して各地に新制国立大学が作られたもので、中等教育機関は新制高等学校へと昇格し、小6・中3・高3・大4制がとられ義務教育の範囲が小学校と中学校にまで拡充され9年間となり、強力な単線型教育に改められました。 旧制の学校はいろいろな制度が複雑に絡んだ形式で、今でいう選択の多・・・

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大学は失業対策?

あるアメリカ人から「日本の大学は若者の失業対策ではないか」という指摘を受けたことがありました。想像もしていなかったので、かなり驚きました。彼によれば、どの国でも失業対策は経済対策として重要で、若者の失業はとくに政治不安になりやすく、政府はかなり神経をとがらせているということです。日本の失業率はおおむねアメリカの半分ですが、その理由が日本の失業率隠しだというわけです。多くの国では、職のない若者は軍隊・・・

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テストと点数

30年程前になりますが、北欧の教育関係者と討論する機会がありました。その時、驚いたのが北欧ではテストをしたり、点数化することは滅多にない、ということでした。日本では日常的ですし、テストをして採点して点数化することは当たり前です。採点は教師にとって負担の大きい作業ですが、点数化なしに成績をつけることはできませんし、テストは必要なもの、と認識しているのが日本の教師です。日本だけでなく、アメリカも同じで・・・

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教育用語の改変

どこの業界にも専門用語という一般になじみのない用語が氾濫していますが、教育界も例外ではなく、それが何十年も続いているところが守旧的です。一番ひどいのは政治用語ですが、それに匹敵するくらい古い伝統のままになっています。これはとりもなおさず業界に古い体質が残っていることを表します。 たとえば前回コラムに書いた「机間巡視」です。先生が生徒の間をぐるぐる歩き回ることをそう呼ぶのですが、生徒にとって鬱陶しい・・・

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教師の時間的制約と教育費

教師は小学校から大学まで、授業時間という細切れの時間に支配されます。授業のほとんどは60分ですが、大学では未だに90分のところがほとんどです。なぜ90分なのか、という根拠はどうもはっきりしません。脳科学的に集中できる限界が90分という説明をしているところもありますが、この時間が始まったのもいつからなのか、はっきりしません。一方で文部科学省は大学設置基準で単位数を決める根拠を時間数に置いていて、「単・・・

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教師の話し方

アメリカなどでは、高校以上のカリキュラムに必須科目としてパブリック・スピーキングというのがあり、人前で意見を述べることの重要性が説かれ、実際の技術指導が行われます。公開の場で話をすることは、政治家の演説だけでなく、話すことを仕事としている職業、たとえばアナウンサー、法律家、ビジネスマンのプレゼンテーションなど、幅広く応用の聞く技術です。日本でも国語教育の1つとして教えてもよいはずです。しかし日本で・・・

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教師の姿勢と立ち居振る舞い

日本では教師は教壇の上に立つか、教壇がない場合でも、立って話すのが当たり前になっています。そのことに疑問をもつ先生はまずいないと思います。人前で大勢の人を相手に話をしようとすると、自然に立って話すのは人間の本能なのかもしれません。聴衆みんなから見えること、みんなが見渡せることにお互いに安心感があります。話す場合だけでなく、歌う場合でも同じことが起きます。お互いに「見える」ことが重要で、人間の認識が・・・

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教師の板書の効用

最近の小学校ではタブレットが使用されたり、電子黒板によって画像が提示されることが増えているそうです。先生はそのための準備が大変だそうですが、授業の準備が大変なことは昔と変わってはいません。画像を準備するのはかなり時間を要するので、提示時間が短い割に製作時間が長いのでタイムパフォーマンスはあまりよくありません。また提示時間が短く、次々と展開していくため、ノートを取ったり、考える時間がほとんどないため・・・

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