知育・徳育・体育


道徳

少し前まで知育・徳育・体育という三育が重要ということがいわれてきました。とくに根拠もなく戦前の古い教育だと思う人もあるようですが、実際には、三育の思想はイギリス発祥です。ハーバート=スペンサー(1820~1903)が1860年の論文『Education; Intellectual, Moral, and Physical』の中で提唱した概念です。日本語訳が知育・徳育・体育です。

戦前の思想ということは確かですが、現在でも教育基本法の第二条に『教育の目標』を定めていて、第一号に「幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと」と書かれていて、その精神が反映されているのです。「真理を求める態度」は学問のことを指していると考えられます。ところが戦後の教育では次第に道徳という科目が不安定になっていきました。それは戦前の修身という科目が軍国教育と結びつけられ、道徳はその延長線にあると考える人がいることが影響していると思われます。

現実には、道徳は元々教科ではなく、道徳の時間でした。しかし小学校では2019年度から、中学校では2020年度から、現行の学習指導要領より、道徳は教科となりました。ここでは「道徳科は、子供たちがよりよく生きるための基盤となる道徳性を養うための時間です。具体的には、小学校と中学校でそれぞれ設定されている22の内容項目に分けられた道徳的諸価値について、1単位時間かけて学級全員で考えていきます。子供たちが自分との関わりで道徳的価値の良さを感じ、さらに考えを深めるのが道徳の授業です。」となっており、抽象的でわかりにくいのですが、要するに「普段の生活ではあまり深くまで考えないことや、別々のものとして体験していることを、道徳科の時間でしっかりと見つめて考えましょう」ということのようです。

この道徳は世間一般がイメージしている道徳とは違うと思われます。世間では、マナーとか、人としての感覚をイメージしていると思います。知育分野では、「あの人は英語ができる」「国語の成績がいい」とかいえますし、体育分野では「野球が上手い」「足が速い」などの評価もできるのですが、「あの人は道徳性が高い」ということはあまりいいませんし、学校科目とは考えていない人がほとんどでしょう。むしろ、最近の政治家などにみられる道徳性の低さが目につき、外国人のマナーの悪さがオーバーツーリズムなどとして批判されていても、道徳という科目の優秀さとは結びつけていないと思います。また受験科目に道徳がないので、受験中心の学校教育では知育の結果としての試験結果や、スポーツ推薦などへの関心ばかり強くなって、OA入試でも道徳性が規準となることはまずないと思われます。たまにボランティア活動などが評価になることがありますが、ボランティアは道徳なのかというと、そうとはいえません。イギリスの三育の発想は、三育をバランスよく教えることを理想としているはずですが、現実にはアンバランスで、知育に特化した教育や体育に特化した教育機関はもてはやされますが、徳育に特化した教育機関は稀有であるのが現実です。

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