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手話研究の星1 カール・カーシュナー③(米教育制度)

手話と聾教育の実態を研究するには、全部回ってみるしかありません。そこでカールの紹介で、すべてを回ってみることにしました。日本からも何人かの研究者が訪問していますが、すべてを回って実態を調査するには、時間だけでなく面談するだけの英語力が必要です。訪問者のほとんどが、「見学」し、文献をもらって帰るだけでした。長期留学生は1か所だけです。私の場合は紹介者に恵まれたことも幸運でした。カールは実践家で社交的・・・

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手話研究の星1 カール・カーシュナー②(米教育制度)

カール・カーシュナーがプリンシパルをしていたケンドールは、形式上ギャロデット大学に所属していますが、日本の大学付属校とはまったく違います。ケンドールは12年制という特殊な制度になっていて、その上にはモデル中等学校(MSSD)があります。ケンドールとMSSDは別組織のため、ケンドール卒業生は他の高校に行ったり、MSSDに他の聾学校から入学する生徒もいます。アメリカでは国民の多くが移動するため、生徒も・・・

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手話研究の星1 カール・カーシュナー①

宗教関係のコラムはしばらくお休みして、今日から手話研究の星たちを筆者の実体験を元にご紹介いたします。研究業績については、論文をご覧いただくのがベストなので、ここでは人物についての私見を述べていくことで、研究者の実像と研究成果を比較していただき、その思想や文化的背景をご推察いただく資料としたいと思います。 第1弾はCarl Kirchnerです。来日も数回あるので、実際に会われた方、あるいはカリフォ・・・

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手話の雑学129 仏教の障害者観

仏教では障害者をどのように考えているでしょうか。仏教の障害者観は、一言でまとめるなら「揺れながら進化してきた」です。慈悲と解脱を掲げつつ、歴史の層ごとに異なる理解が折り重なっています。 まず、原始仏教(初期仏教)では人間の苦しみ(ドゥッカ)が中心テーマです。老・病・死は万人に等しく訪れる事実で、障害は「特別な逸脱」ではなく、「苦の一形態」として把握されます。重要なのは、障害が「人格の価値」を下げる・・・

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手話の雑学128 神道と手話

神道における手話の扱いとして、神道は手話を否定も排除もしていません。むしろ「言葉以前の身体表現」を重視する体系なので、理論的にはかなり親和的といえます。神道において重要なのは祝詞の意味内容よりも正しい発声・拍子・姿勢・所作です。祝詞は「意味が通じるか」より、「型が崩れていないか」が優先されます。これは、音声言語中心主義とは真逆の発想です。神前では、沈黙・立ち姿・動作そのものが意味を持ちます。つまり・・・

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節分会

立春と節分会は、日本の暦と想像力がもっとも生き生きと交差する季節の結節点です。節分は「季節を分ける」日で、本来は年に四度ありましたが、やがて立春前日の一回が特別視されるようになりました。冬の終わりと春の始まり。その境目は、古来もっとも“ゆらぎ”の大きい時間と考えられ、鬼や疫、災いが入り込みやすいとされます。だからこそ豆をまき、声を張り、身体を動かし、世界の輪郭をはっきりさせる必要があったのです。 ・・・

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手話の雑学127 神道の障害者観

神道は障害者を“罪ある存在”とは見なさないが、長い歴史の中で“穢れ(けがれ)”という概念と複雑な距離を取ってきた宗教です。重要なのは、神道の「穢れ」は道徳的な悪や罪ではないという点です。穢れとは、死・血・病・災害など、生命の秩序が揺らぐ状態を指します。つまりそれは人格評価ではなく、状態の問題です。ここで誤解が生まれがちですが、病や障害=穢れ、穢れ=悪、という単純な思考は、神道には本来ありません。穢・・・

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手話の雑学126 インドの手話事情

ヒンドゥー教と手話の関係は、制度的には薄く、思想的・身体文化的には驚くほど深い、という少しねじれた構図をしています。一直線ではなく、地下水脈のようにつながっている感じです。 まず現実面では、インドには Indian Sign Language(ISL)があり、ろう学校や都市部を中心に使われています。ただし歴史的に、ヒンドゥー教が「手話を言語として神学的に位置づけてきた」わけではありません。むしろ長・・・

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