やまとことば① もの
最近は外国語とくに英語からの借入語が日本語の中に氾濫しています。少し前までは漢語が日本語を席捲していました。文明の発達と借入語の普及は表裏一体の関係にあります。どの言語でも本来の語からの新造には限界があり、接触の多い言語の中で先進性があると思われる言語の語彙からの借用は避けられません。日本語では、古代から現在は中国と呼ばれる隣国からの借用がありました。歴史的には大陸の王朝はたびたび入れ替わり、それぞれの王朝により語彙が変わったので、そのたびにその漢字と音と意味が日本に輸入されてきました。それらを総称して漢語と呼んでいます。その結果、漢字には複数の音と意味が混在することになりました。その代表的なものが漢音と呉音です。漢字の方は現在、フォントという形で残っています。これは印刷が普及し活字ができたことによる文化の名残です。一番普及している明朝体は文字通り明の時代の文字で、他にも宋朝体などもよく使われます。また現在は中国の簡体と台湾の繁体の漢字が日本で使われています。カタカナ語としては、ポルトガル語やオランダ語から始まり、英語やフランス語からの借用が一般化し、現在は米語が主流となっています。これらの借入は文字もアルファベットによる表記や頭韻語という略語も広がっています。日本語はこうした借入による語彙増殖が多いのですが、それが日本語の語彙を豊かにしているともいえます。
日本国内には日本独自の言語としてアイヌ語や手話がありますが、日本語からの借入は日本語ほど頻繁でなく、語彙の増殖は多くなかったので、日本語と比較すれば語彙が豊富とはいえない状況にあります。それでも近年、関係者による借入の努力はなされており、徐々に語彙が増えてはいます。
こうした借入の普及の裏側には、古来からの本来語の消滅という現象が起こります。人間の記憶同様、新しい知識の獲得は古い知識の放棄という現象が社会全体として起こり、それが言語変化という現象を起こすわけです。しかし新語を求める心理と同時に伝統的な語彙を求める心理も一方で存在します。また古いものに新しさを感じることもよくあります。その心理は言葉に対しても存在します。そこでいわゆるヤマトコトバといわれる伝統的表現の中から、現代にも生き残っているものに焦点を当て、その意義を再考すると同時に、そこに潜む日本文化の底流を探ってみたいと思います。その1として、まず「もの」から始めます。
モノは漢字で書くと物と者に分かれます。物は人間以外の存在で、者は人間に対してのみ用います。このように人間と人間以外に分類する感覚は容易に理解できます。まず迷うことはなさそうに思えます。しかし、近年生まれてきたロボット、そしてアニメなど人間を模した存在だとどうでしょうか。そして動画の画面の中の人物はどうでしょうか。絵や写真の頃はあまり迷うことはなかったかもしれませんが、現在のように巧妙に模した場合は区別がむずかしくなってきています。そして人間でないことは明確なペットはどうでしょうか。そして死者や遺体はどうでしょうか。迷いませんか?
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