スクールカラー
箱根駅伝では各校がスクールカラーの襷を繋いでいくことが重要な要素になっています。いつも思うのですが、箱根からの復路では10分遅れでまとめてスタートとか、途中1位と20分遅れると襷が繋げない、という変な規則があるのはテレビ局の放送時間枠のせいなのです。スポーツのルールはそのコミュニティが決めるべきもので、他の組織が介入するのは望ましくないです。スポーツと商業は切り離しにくい側面があるのも事実ですが、支配的になるのは正しい姿とはいえません。コメンテータもそこを指摘すべきでしょう。
スクールカラーという風習は英米の大学の真似で、当初は英国オクスフォード大とケンブリッジ大の競技から始まったらしいです。英国では今でも通称オクスブリッジといい、名門の証であり貴族的象徴です。日本の早慶もこれを真似たといえます。米国はアメリカンフットボール戦の名門8校をアイビーリーグといい、ブラウン、コロンビア、コーネル、ダートマス、ハーバード、ペンシルベニア、プリンストン、イエールというアメリカの中心がまだ東部にあった時代の名門私立校です。大統領を始め多くの政治家などを輩出しています。これらの大学の学生のファッションは当時からの伝統を守っており、それに憧れた日本の団塊世代が真似たのがアイビーファッションで、石津謙介というデザイナーがVANを設立し一世を風靡しました。アイビールックの元はオクスブリッジ風で、グレーのジャケット、3つボタン、フックベント、ボタンダウンシャツ、レジメンタルストライプのタイが定番です。日本で流行った原因の1つはJFKがこのスタイルだったことが影響していると考えられます。JFKはタートルネックのセーターというラフスタイルも好んだので、レイアードルックとして日本でも真似する若者がいました。アイビーリーグは男子校なので、その女子校版として7シスターズというのがあり、そこそこ流行りはしたのですが、日本の横浜の女子校制のハマトラに似ていたので、そちらの方が有名になりました。
スクールカラーは試合中の敵味方の識別が目的でしたが、色数には限界があるので、二色の縞も併用されました。ラグビーは英国の伝統なので、こちらの方が多いと思います。
敵味方の識別は昔から戦場では必要なことでしが、日本では源氏と平家が始めたと言われています。源氏が白、平家が赤なので、今では紅白歌合戦のように対抗戦の代名詞になっていますが、昔は源平戦と言っていた時代もありました。戦争嫌いのはずのGHQやNHKも合戦という言葉は認めたようです。紅白を男女に割り振ったのはNHKですから、男女区別の元祖かもしれません。東西対抗戦のようなものもありますが、これは関ヶ原を模したもので、ここでは色の識別ではなく家紋を書いた幟が識別として使われました。複数の家が関わっていたためです。箱根駅伝はこのスタイルなので、オクスブリッジのような対抗戦でなく、リーグ戦でもないため、スクールカラーをより鮮明に表示しています。
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