ゑびす
関西地方では十日戎(とうかえびす)が今も盛んで、関東のお酉様と同じような賑わいを見せています。えびすは変体仮名で「ゑびす」とも書きます。元の漢字は惠でその草書体です。恵比寿と書くのはその名残りを残しています。残念はことに「す」の元字は寸なので、縁起のいい寿に変えたと思われます。スシを寿司と書くのと同じ文化です。変体仮名や旧字体漢字は古文を読むには必須の知識です。こうした古来の文字は明治33年(1900)の小学校令施行規則におり学校教育で用いないことにされ、戦後は文部科学省の小学校学習指導要領により制限され、高等学校以上の教育や社会においては常用漢字を内閣告示によって制限しています。教育の普及という目的は否定できませんが、一方で文化の伝承の阻害になっている負の面も知っておく必要があります。テレビの字幕(スーパーインポーズ)では、当然漢字であるべきところが平仮名になっていて違和感を覚えることが多いのですが、その原因は当用漢字による制限がある一方で、政治用語や法律用語などは当用漢字以外の漢字が多く使われていることです。言語政策という視点で考えると、法律は庶民に知らしめる必要がない、という官尊民卑の思想が反映されているといえます。その傾向は今も強く、学校英語で習わない英単語をカタカナにして導入し、和製英語を濫用しています。ところが情報技術の発達で、今では変体仮名も旧字体も簡単に表示できるようになり、インターネット上の記事には多く見られるようになりました。漫画なども雑誌中心の時代は新聞同様に活字に依存していたため、漢字使用に制限がありましたが、コミックの時代になって、インターネット利用が進んでくると、変体仮名や旧字体漢字が若者には新鮮な感覚を与えるらしく、急激に増えてきています。そして着物や刀剣に始まり古民家や伝統行事、伝統宗教など古い文化への人気も高まっています。これはレトロブームという古い頭の大人たちが考えるようなものではなく、新時代の思想であり、メディアの革新がもたらした創造と見るべきでしょう。ルネサンスという古いラベル貼りも妥当ではないと思われます。伝統や文化はそのまま伝承されることは意外に少なく、微妙に新しいものが付加され、新たな伝統へと進化していくものです。日本の伝統芸能を見ればわかるように、創案された当時とはかなり違っていても人気があり支持されています。まったく新たなものを創造することは可能ですが、少しの工夫を加えつつゆっくり進化していくことの方が実際は多いものです。とくに学問はそういう部分が大きいです。
明治時代は西洋に後れを取ったという劣等感が強い時代で、舶来主義とでもいうべき、なんでも西洋が優れているかのような変革を政治が求めました。それには正の面もありますが、負の面もありました。現在は遺産として正の面だけが評価対象になっていますが、当時、一方で捨てられた文化が150年たった現在になってようやく復刻の兆しを見せ始めています。振り子は運動の頂点に達すると静止して反対方向に戻っていきます。同じように文化の革新運動も戻っていくのが自然であることを歴史が証明しています。振り子運動が頂点で一旦静止するように、改革運動の転換期は発達が一旦停止するのが法則です。今、すべてが停止しているように見える政治や経済もまもなくゆっくりと反対方向に動いていくと推定されます。
ところでゑびす様は狩衣(かりぎぬ)姿で、右手に釣り竿を持ち、左脇に鯛を抱える姿が一般的です。しかしこの神様の由来は意外とはっきりしていません。イザナギ、イザナミの子である蛭子命(ひるこのみこと)、大国主命の子である事代主神(ことしろぬしかみ)、少彦名神や彦火火出見尊とする説もあります。外国由来という説もあります。本来はともかく、持ち物から一般に海の神様であり漁業の神様として知られていますが、福の神という商売繁盛の神でもあります。十日戎はその意味が強いです。福の神として江戸の椙森神社はくじ運の神様ということにもなっていす。現在では五穀豊穣・商売繁盛・家内安全など幅広いご利益があることになっていますから、守備範囲が広い神様です。
関西地方では十日戎(とうかえびす)が今も盛んで、関東のお酉様と同じような賑わいを見せています。えびすは変体仮名で「ゑびす」とも書きます。元の漢字は惠でその草書体です。恵比寿と書くのはその名残りを残しています。残念はことに「す」の元字は寸なので、縁起のいい寿に変えたと思われます。スシを寿司と書くのと同じ文化です。変体仮名や旧字体漢字は古文を読むには必須の知識です。こうした古来の文字は明治33年(1900)の小学校令施行規則におり学校教育で用いないことにされ、戦後は文部科学省の小学校学習指導要領により制限され、高等学校以上の教育や社会においては常用漢字を内閣告示によって制限しています。教育の普及という目的は否定できませんが、一方で文化の伝承の阻害になっている負の面も知っておく必要があります。テレビの字幕(スーパーインポーズ)では、当然漢字であるべきところが平仮名になっていて違和感を覚えることが多いのですが、その原因は当用漢字による制限がある一方で、政治用語や法律用語などは当用漢字以外の漢字が多く使われていることです。言語政策という視点で考えると、法律は庶民に知らしめる必要がない、という官尊民卑の思想が反映されているといえます。その傾向は今も強く、学校英語で習わない英単語をカタカナにして導入し、和製英語を濫用しています。ところが情報技術の発達で、今では変体仮名も旧字体も簡単に表示できるようになり、インターネット上の記事には多く見られるようになりました。漫画なども雑誌中心の時代は新聞同様に活字に依存していたため、漢字使用に制限がありましたが、コミックの時代になって、インターネット利用が進んでくると、変体仮名や旧字体漢字が若者には新鮮な感覚を与えるらしく、急激に増えてきています。そして着物や刀剣に始まり古民家や伝統行事、伝統宗教など古い文化への人気も高まっています。これはレトロブームという古い頭の大人たちが考えるようなものではなく、新時代の思想であり、メディアの革新がもたらした創造と見るべきでしょう。ルネサンスという古いラベル貼りも妥当ではないと思われます。伝統や文化はそのまま伝承されることは意外に少なく、微妙に新しいものが付加され、新たな伝統へと進化していくものです。日本の伝統芸能を見ればわかるように、創案された当時とはかなり違っていても人気があり支持されています。まったく新たなものを創造することは可能ですが、少しの工夫を加えつつゆっくり進化していくことの方が実際は多いものです。とくに学問はそういう部分が大きいです。
明治時代は西洋に後れを取ったという劣等感が強い時代で、舶来主義とでもいうべき、なんでも西洋が優れているかのような変革を政治が求めました。それには正の面もありますが、負の面もありました。現在は遺産として正の面だけが評価対象になっていますが、当時、一方で捨てられた文化が150年たった現在になってようやく復刻の兆しを見せ始めています。振り子は運動の頂点に達すると静止して反対方向に戻っていきます。同じように文化の革新運動も戻っていくのが自然であることを歴史が証明しています。振り子運動が頂点で一旦静止するように、改革運動の転換期は発達が一旦停止するのが法則です。今、すべてが停止しているように見える政治や経済もまもなくゆっくりと反対方向に動いていくと推定されます。
ところでゑびす様は狩衣(かりぎぬ)姿で、右手に釣り竿を持ち、左脇に鯛を抱える姿が一般的です。しかしこの神様の由来は意外とはっきりしていません。イザナギ、イザナミの子である蛭子命(ひるこのみこと)、大国主命の子である事代主神(ことしろぬしかみ)、少彦名神や彦火火出見尊とする説もあります。外国由来という説もあります。本来はともかく、持ち物から一般に海の神様であり漁業の神様として知られていますが、福の神という商売繁盛の神でもあります。十日戎はその意味が強いです。福の神として江戸の椙森神社はくじ運の神様ということにもなっていす。現在では五穀豊穣・商売繁盛・家内安全など幅広いご利益があることになっていますから、守備範囲が広い神様です。
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