晦日正月
1月31日は晦日正月(みそかしょうがつ)です。ミソカというのは本来、三十日のことで、十を「そ」と読むのは三十路(みそじ)のような例があります。日をカと読むのは二十日(はつか)などがあります。旧暦だと一月(ひとつき)は30日までしかないので、月末=30日であり、月末を晦日=三十日で矛盾はなかったのです。新暦になり、大の月と小の月ができて31日月末ができたため、晦日が三十日でない月ができたわけです。1月月末は31日ですから、旧暦の行事である晦日正月も新暦になって31日に移動したわけです。こういう旧暦行事を新暦に移した例は数多くありますが、中には旧暦のもつ季節感が失われて形骸化したものもあります。
正月とは文字通り本来1ヵ月ありました。しかし現在の正月と同じ意味の祭事の意味が加わり、1月の中に大正月(1日)、小正月(15日)、二十日正月(20日)、晦日正月という行事ができました。現在のように1週間(7日間)単位で行動するようになる前は基本が10日間で、15日が望月なので、それを切り目にしたり、5日間をひとまとめにしたりといった、区切りがありました。正月休みも現在のような三が日に一斉休みというのではなく、商店などでは小正月に里帰りして、二十日正月に戻るという習慣もありました。休みは5日間あったわけです。武士に限らず町人も正月三が日は初詣や挨拶回りがあって、完全な休みという訳ではなく、のんびりできたのは小正月と二十日正月の期間だったと思われます。二十日正月には農業は休むことが多く、正月の中締めのような感じで、正月に食べた出世魚の鰤(ぶり)の骨を20日間粕漬にして、その骨と一緒に大根、人参、牛蒡、大豆などに昆布を加えて煮る料理を主に関西に残っているそうで、それで二十日正月を骨正月という地域もあるそうです。麦とろ飯を食べるので麦正月とか、あらゆる残り物を一掃するので乞食正月という異名もあるそうです。ただ江戸時代、徳川家光の命日が二十日のため、これらの行事は11日にされたり、15日にされたりしたようです。
晦日正月の風習は地方に残っていて、晦日というところから、年末の大晦日のように蕎麦を食べる風習とか、餅を食べる地域もあるそうです。晦日団子というのもあって、団子を串や枝に刺して戸口や軒下に飾る地域もあるそうです。また正月のご挨拶の最終期限が晦日正月なので、松の内にご挨拶できなかった方へのご挨拶を済ませます。正月の行事は何でも「初」がつくので、初晦日という言い方もあるそうです。こうした風習はだんだん廃れていくのはやむをえないのですが、残しておくのもいいですね。
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