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手話の雑学65

ふたたび、あのややこしい日本手話文法の話に戻ります。先週の日本手話文法の説明がむずかしかったのですが、これが日本手話学のエッセンスです。ご理解いただけたでしょうか。なかなか一度の説明ではむずかしいでしょうから、何度も読み返してみて、語幹、項、内蔵項という概念を順番に理解してください。 日本手話動詞の基本構造がわかると、動詞の分類は項の数で分類できます。「会う」は2項、「歩く」は1項です。この項の数・・・

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聾教育と手話5

しかし、近年になって人工内耳の登場と普及が聾教育に影響を与えるようになりました。20世紀の終わり頃から、先進国では人工内耳が普及しはじめた。これに伴い、幼児期に人工内耳を装用した聴覚障害児の教育法が議論されるようになりました。人工内耳が登場した時期を中心として、多くの国において、聾者は障害者ではなく言語的少数者であると主張するグループから人工内耳装用は一種の民族浄化(少数民族としてのろう者の抹殺)・・・

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聾教育と手話4

ドレペの設立したろう学校は、その後オーギュスト・ベビアンらによって手話法を更に進化させていきました。ベビアンは手話法に加えて書記言語の必要性を指摘し、一方で口話や読話は重視しませんでした。こうしたことから、ベビアンはバイリンガルろう教育の元祖と見なされることもあります。ドレペの手話法は19世に入るとトーマス・ホプキンス・ギャローデットによってアメリカ合衆国にも普及しました。また19世紀ヨーロッパで・・・

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聾教育と手話3

昔の聾教育の具体的な内容は、史料が存在しないためわからない状況ですが、現在のスペインや南フランス、イタリアなどの地域の修道院では13世紀頃から各種の指文字が使用されていたことがわかっており、それらを用いてろう教育を行ったのではないかと考えられています。16世紀のスペイン、レオン地方に住んだベネディクト会の修道士ペドロ・ポンセ・デ・レオンが1570年頃、4人の聾児(いずれも貴族の子弟)に墨字と指文字・・・

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聾教育と手話2

聾教育を創始したのは、フランスのドレぺ神父(1712年11月24日 - 1789年12月23日)による1760年である、とされています。またドイツのハイニッケが1778年に聾学校を開設しています。日本の聾教育の創始は古河 太四郎(ふるかわ たしろう)(1845年4月26日)- 1907年12月26日)により1878年とされていて、120年ほどの差があります。当然、古河には西洋の実情に対する知識はあ・・・

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聾教育と手話1

ここで、しばらく手話学から離れて、聾学校と手話の関係についての基本知識を学びましょう。 聾学校と手話の関係は時代と共に変化しました。世界のすべての聾教育は手話から始められました。聾者が「身振り」をすることは昔から知られており、その身振りで、周囲の人とある程度のコミュニケーションができていました。現在、手話と呼ばれているものは、昔の日本では「手真似」と呼ばれていました。現在では「手話は言語」という考・・・

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手話の雑学64

「私とあなた」が主語という文法は、日本語の特徴で、英語文法からは考えられないしくみです。英語ではI meet you.とYou meet me.と主語と目的語は動詞を挟んで前後に分かれて明快に示されます。*I and you meet.のような文は存在しません。このように主語、目的語という説明は言語ごとに異なり、英語文法を日本語に適用しようとすると、こうした矛盾が出てきます。むしろ、項という一般的・・・

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手話の雑学63

前のコラムで「仮に」としたのは、その構造分析で正しいのかどうかを別の語でも検証してみる必要があるからです。たとえば、日本手話の「歩く」では、「二本指を交互に動かす」ですが、その動かし方で、「速く歩く」「ゆっくり歩く」「ジグザグに歩く(千鳥足)」のように意味が変化します。従来はこれを「副詞的変化」と説明してきましたが、これでは構造的な説明にはなっていません。形態論的な考察をすると、変化しないのは「二・・・

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手話の雑学62

現代日本語文法の続きで、次は文法的視点です。機能的な視点(述語中心の構造)として、現代文法は「文の中心=述語」と考えます。 「雨が降る」→ 述語「降る」に主語「雨が」が対応。「リンゴを食べる」→ 述語「食べる」に目的語「リンゴを」が対応。 この構造的関係を分析することで、文節の役割(主語・述語・修飾語など)を明確にします。助詞はこの関係を示す「文法マーカー」として重要です。「が」「を」「に」などは・・・

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独身の日

本日は1が並ぶということで、中国では「独身の日」だそうです。日本ではまだなじみの薄い習慣ですが、アジアの経済・文化圏ではすでに一大イベントとして定着しているそうです。そもそもこの「独身の日(光棍節)」という名称は、1990年代の中国の大学生たちの間で生まれたものだそうです。1が並ぶ日を「一本立ち=独り身」と見立て、独身者同士が自分たちの存在を祝おうという、ささやかなユーモアから始まりました。恋人や・・・

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手話の雑学61

日本語文法の説明だけから手話の品詞を分類することは不可能です。つまりより一般文法的な技法が必要であり、「名詞の文法機能」「動詞の文法機能」という、より専門的な観点から考える必要がでてきます。その原因は音声言語では、語という単位がわかりやすく、語は形態素からできている、という構造が簡単に示すことができますが、「手話では、語と形態素の境界が曖昧」という点です。 みなさんの頭の中は学校文法という旧世代の・・・

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手話の雑学60

ここらでまた、品詞の話に戻ります。日本語の伝統的な分類では、大きく次のような品詞があります。学校で習った文法の再学習をしてみましょう。 自立語と付属語文の中で単独で意味をもつ「自立語」と、単独では使えず他の語にくっついて意味を添える「付属語」に分けられます。たとえば「私はリンゴを食べます」の中では、「私」「リンゴ」「食べ」は自立語、「は」「を」「ます」は付属語です。 主な品詞の種類 ・名詞(人や物・・・

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手話の雑学59

前述のコーヒーとミルクの関係をイメージしつつ、優勢であるコーヒーを日本語と考えれば、初期の日本語と手話のピジンは「不完全な日本語」であり、コーヒーミルク状態です。聾学校では、先生と生徒の間で、こうしたピジンが発生しましたが、先生は日本語習得を基礎に考えているため、生徒の日本語は不完全であり、いわゆる「ろう文」と呼ばれる「独自の逸脱」が観察されてきました。実際、「手話の影響」が指摘されていました。聾・・・

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立冬

本日から二十四節気の立冬に入ります。立冬と聞くと冬の到来の時期ですが、実際、このところの寒さはそれを実感します。立冬は二十四節気の十九番目にあたり、太陽が黄経二百二十五度に達したときにあたります。朝晩の冷え込みがぐっと強まり、木々の葉が散りはじめ、空気がいっそう澄んでくる頃です。目に見える雪こそまだですが、風の冷たさや陽の短さが、確かに季節の境を感じさせてくれます。立冬は、「冬が立つ」、すなわち冬・・・

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手話の雑学58

混淆語という概念を手話に応用してみると、優勢言語は日本語、劣勢言語という組み合わせがまず考えられます。そうすると、一般法則によって、語彙は日本語、文法は手話ということになりますが、事情はさらに複雑で、発音は手話側のものが使えません。そこで、発音も日本語の変化したものを用いることになり、文法も語順や主語、目的語といった基本的なものも使えず、表情に依存する相などに限られたものにならざるをえません。通常・・・

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手話の雑学57

「バベルの塔」伝説は「神は1つ」というだけでなく、「人もアダムとイブから始まった」「人が増えるにつれて、傲慢になり、高い塔(バベルの塔)を作って、神に近づこうとしたので、神はバベルの塔を壊し、同時に人は別々の言語を話すようになった」という説明でもあったわけです。ところが植民地政策によって、アフリカやアジアにキリスト教徒が出かけるようになって、元が1つにしてはあまりに違いが大きいということに気づいた・・・

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手話の雑学56

現状、ストーキーのような言語相対論の立場で、しかも新たな枠組みを提唱しようとする人は稀有です。このコラムの筆者はそういう希少な立場なので、枠組みが独創的であり、どうしてもわかりにくく、納得できる説明がわずかしかありません。そのため、日本語の例、英語の例などを比べながら、日本手話を考えるという、めんどうくさい説明になっていることをご容赦いただきたいと思っています。 新しい枠組みといっても、すべて新し・・・

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手話の雑学55

日本語の「名前」は1語ですが、日本手話の「名前」は「掌」と「親指」に分解でき、語源では「ハンカチに書いた名前」というのが定説です。つまり「ハンカチ」と「そこに文字がある」という2つの要素からできていることになります。「胸に名札をつける」という習慣から、同じ日本語に対し、関西方言では、「胸の名札」を語源とする表現があります。これも「胸」と「丸い名札」と意味的に分解できます。日本手話の「鼻」は「指差し・・・

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十三夜

今夜は十三夜です。秋も深まり、空気が澄んでくると、夜空の月がいっそう美しく見えるようになります。旧暦九月十三日の夜にあたる「十三夜(じゅうさんや)」は、十五夜の満月から少し欠けた月を愛でる、日本独自の月見行事です。十五夜の月を「中秋の名月」と呼ぶのに対し、十三夜は「後(のち)の月」あるいは「栗名月」「豆名月」ともいわれ、秋の実りを感謝する夜として古くから親しまれてきました。十五夜が中国伝来の行事で・・・

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手話の雑学54

西洋語の名詞と代名詞と冠詞の関係を理解するには、名詞には、内容を示す語幹に、冠詞と数が義務的に付加される、という新しい文法観が単純です。ただ学校文法が染み込んでいるとなかなか、理解しづらいと思います。とくに英語が得意だった方には混乱が起きそうなので、この項は飛ばしていただいた方がいいかもしれません。 新しい文法概念では、名詞は意味の核となる語幹部分に、前に冠詞、後ろに数の形態素が付随して名詞(正確・・・

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