3度目の庚申


庚申堂

本日は今年、3度目の庚申です。庚申という道教の習慣は平安時代に貴族の間で流行り、一種のもの忌みのような感じの行事でした。しかし、江戸時代に庶民に広がるにつれ、宗教的な色合いが減り、徹夜行事として、楽しみの1つになっていったようです。昔は、それほど娯楽が多くなく、年に数回の祭りや正月、盂蘭盆会の他は、縁日とか二十四節気の行事のたびに、集まって食事をすることが娯楽でした。結婚式や葬式も大きな行事でしたが、それほど頻繁にあるわけではなく、ある時には相当な散財が必要ですから、日常の範囲でのささやかな楽しみは、暦の行事であったわけです。今のようなテレビも映画もなく、ゲームやマンガのように個人で楽しむ物も時間もなかったので、集まって酒を飲み、食べ物を食べ、おしゃべりすることが娯楽の中心でした。

今のように定まった休暇は年に数日で、農家だと土用という禁忌の日が休み、あとは天気次第という状況でした。町屋は反対に正月や藪入りでないと休みがないのが日常でした。仕事がなければ収入もないので、むしろ毎日仕事があることが幸せにつながっていて、遊んでばかりいる人は遊び人として、怪しまれたわけです。泥棒でもしないかぎり、昼間から遊んで酒など飲んでいられません。盗人でさえ、盗みを「働き」という生業と考えていたわけです。無論、善悪の観念がありますから、仕事や行動にも善悪の判断がありました。その判断基準が宗教のため、宗教的に卑しいとされた職業もあり、社会的に差別もされていました。差別は日常的にあり、社会階級化していて、階級差別も是認されていた社会構造でした。こうした社会差別や日常行動をすべて封建時代として捨て去ってきたのが現代の社会観です。昔の善も悪も一緒に捨ててしまったため、今がすべて善ではなくなりました。今は新しい善と悪があります。人間社会の進化がすべて善の方向への変化である、という保証はなく、むしろ善も悪も進化していく、のが正しいでしょう。

庚申の行事はほとんどなくなり、痕跡として庚申塚がある程度ですが、その原因は明治政府が迷信としてすべて禁止したことにあります。西欧にない習慣はすべて悪として排除した結果です。そもそも迷信とは何か、迷信のどこがいけないのか、という理解もなしに強制的に禁止するという今から見れば独裁的で専制的な変更でした。民主化という名の元にあらゆる変更を強制した戦後政策にも似たような側面があります。戦前をすべて悪とみなす価値観を今も持ち続けている人がいます。これでは進歩がないので、改めて価値観を問い直して、昔のいろいろを再評価をしないと先には進めない、というのが自然な歴史的評価です。そのためには過去の行事を掘り起こして、実際にやってみて、先人の知恵や行動を再評価してみることも有意義だと思われます。庚申は干支と密接していて、60日に一度巡ってくる行事です。普段は早起き、早寝の習慣ですが、夜通し起きて、宴会をして、しゃべり合う、というのは普通に考えて楽しいことでしょう。ホンネが出てくることでしょうし、噂の真相がわかるかもしれません。

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