近江屋事件


坂本龍馬と中岡慎太郎

近江屋事件(おうみやじけん)は、江戸時代末期(幕末)の慶応3年(1867)旧暦11月15日に起こりました、今年の旧暦11月15日は12月15日です。坂本龍馬と中岡慎太郎、龍馬の従僕であった山田藤吉の3人が京都河原町通蛸薬師下ルの近江屋井口新助邸において殺害された事件です。この近江屋事件の前に、尊王攘夷派の志士たちが薩摩藩の藩主・島津久光を暗殺しようとした寺田屋事件(1862年)がありました。この事件では、尊王攘夷派の志士たちが寺田屋で討幕の計画を練っているところを幕府側に察知され、多くの犠牲者が出ました。これらの事件は、当時の外国人に対する日本の対応を象徴するものとして知られています。当時、日本は鎖国政策を取っており、外国人の来航を厳しく制限していました。しかし、1854年にペリーが来航し、日米和親条約が結ばれたことで、日本は一部の外国人に対して開国を余儀なくされました。その後、外国人の来航が増え、日本国内での摩擦が増加しました。生麦事件(1862年)は、イギリスの船が生麦村の村民と衝突し、イギリス人が殺害された事件です。この事件をきっかけに、イギリスが日本に対して謝罪と賠償を要求し、日本はこれに応じました。この事件は、日本が西洋列強との関係を見直すきっかけとなりました。近江屋事件の登場人物として、坂本龍馬は中心人物の一人で、尊王攘夷派の志士です。彼はこの事件で重傷を負い、やがて死亡しました。もう一人の中心人物が近藤勇です。:新選組局長で、近江屋事件の主要な関係者の一人です。ただし近江屋事件の犯人については諸説があります。京都見廻組実行説、紀州藩士報復説、薩摩藩陰謀説などがあるそうです。見廻組説における隊士の自供・談話以外に確実な史料の存在はいまだ確認されておらず、見廻組による暗殺という説が有力視されている一方で、薩摩藩陰謀説をはじめとする数々の陰謀説が唱えられ、小説などの創作も盛んに行われています。映画やテレビ・小説などでは、この説を採用することが多く、特に、NHK大河ドラマの1974年の『勝海舟』で大久保利通を坂本暗殺の黒幕として描いて以来、この説を採用することが多くなっています。テレビドラマで歴史の洗脳があることがしばしばありますが、これもその1つでしょう。外国陰謀説というのも小説家が唱えており、武力倒幕により、薩長倒幕側に武器の売り込みを狙った企業体・英国ジャーディン・マセソン系のイギリス人・トーマス・ブレーク・グラバー、外交官・ハリー・パークス、アーネスト・サトウらにより仕組まれた陰謀であるとの説もあります。坂本龍馬がこうしたイギリスのスパイであったという説もあり、事実はまだ解明されていない、というか、この時代の混乱を象徴している事件でもあります。現在、「坂本龍馬 中岡慎太郎 遭難之地」と記された石碑が建っている場所は、当時の近江屋の北隣にあたり、建立場所が隣地になったのは、1927年(昭和2年)の建立の際、土地所有者の了承が得られなかったためとされています。京都にはこうした「場所違い」の遺跡が数多くあります。歴史というのは難しいものです。

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