箱根駅伝



箱根駅伝も正月の行事になってきた。考えてみると、これは地方大会であり、本来なら全日本駅伝の下位レースなのだが、駅伝ランナーの夢になっているのはテレビの影響以外の何物でもない。正月には高校サッカーとか、大学ラグビーなどもあるのだが、人気と有名度は段違いである。スポーツをテレビが支配しているのはいかがなものだろうか。

年末のNHK紅白歌合戦と正月2,3日の箱根駅伝の間、他のテレビ局はもうやる気がないのか、同じような録画企画編成ばかりである。何年か前まではそれでも対抗しようという企画もあったのだが、近年はそういう雰囲気が感じられない。これもテレビその凋落を象徴しているといえよう。ジャーナリズムは明治時代の新聞から始まり、昭和のラジオの時代、そしてテレビの時代へとメディアの変化により支配権が移っていった。その支配権は情報の速度と関係している。現代は情報の伝送速度はインターネットが勝っている。ラジオとテレビは電波媒体なので、理論的には伝送速度は同じなのだが、音声チャンネルのみのラジオに比べて、視聴覚チャンネルのテレビの訴求力がラジオに勝っていた。そしてインターネットも視聴覚チャンネルであるから、テレビと伝送速度は同じなのだが、コンテンツの制作速度が大きく異なる。その制作速度は編集技術で決まる。テレビは録画編集へのこだわりが強すぎ、それが現在の再放送でほとんどの時間を埋めるという「手抜き」編集が凋落を招いたともいえよう。これが一般的な見解である。私見では、消費電力と消費人力が大きいため、制作に費用がかかりすぎていることも要因だろうと思う。そのためNHKのような定収入のない民放はCMによる不安定な収入しかなく、制作よりも営業に力点を置く経営方針になってしまった。またブランド力を利用しての副業に頼り過ぎたことも遠因であろう。一方のインターネットは製作費が圧倒的に安く、アマチュアからプロまで入り乱れての放送のため、当然コンテンツ勝負になる。企画アイデアがものをいう。

箱根駅伝も現状はテレビ局が支配力をもっているが、近い将来、インターネット中継ができるようになると、視聴率も変わり、CM収入にも影響するから、天下がいつまで続くのかわからない。テニスやサッカーと違い、賞金競技ではないので、簡単に変わるであろう。

私は大学と大学院が別の大学で、2つともエントリーするとどちらを応援すべきか複雑な気持ちになる。幸いレース途中で競り合うシーンはなかったので、まだ心穏やかに見られた。自分の出身校がエントリーしていない人は寂しい思いに違いない。こういう帰属意識というのは世界共通である。学閥は日本人の特徴と思っている人がいるが、それは誤解である。幼稚園から大学まで同窓生、同期生に親しみを感じるのは人類共通の自然な感情である。しかしその私情を公的世界に持ち込むのは不公平になるから慎むべきであろう。昨年のオリンピックを見る限り、日本人は比較的公平な文化をもっているといえよう。

駅伝

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