社会党再統一

1955年8月31日に日本社会党は左派と右派に分かれていたのが再統一されました。労働運動・平和運動を基盤に一定の勢力を保ちつつ、自由民主党政権と対抗する野党第一党として存在感を示しました。しかし、内部にはもともと左右のイデオロギー的対立が存在しており、現実路線を模索する右派と、革命的社会主義に近い左派の溝は埋まりきっていませんでした。このイデオロギー対立が噴出するかたちで、1959年には右派の一部が離党し、新党を立ち上げることになります。それが「民社党(民主社会党)」です。
民社党は1959年に結党されました。社会党から分かれた形で生まれたこの党は、社会民主主義と反共主義を掲げ、中道・労働寄りの政党として独自の路線を歩み始めます。主要な支持基盤は、総評(全日本労働総同盟)とは異なる同盟(日本労働組合総連合会)という労組団体で、社会党よりも現実的かつ穏健な政策を追求する政党でした。冷戦下では「西側」志向が強く、自衛隊や安保条約についても社会党より柔軟な姿勢をとったため、保守派との連携も視野に入れる「中道政治の橋渡し役」としての性格を持っていました。しかし、民社党は政権参加の機会が限られ、支持基盤の縮小もあり、1990年代に入ると影響力を徐々に失っていきます。そして1994年、新進党への合流などを経て、政党としての歴史を終えることになります。
1990年代初頭、冷戦の終結と自民党の一時下野によって日本の政党地図が大きく動きます。1993年、細川護熙内閣(非自民・非共産連立政権)により、自民党政権が初めて崩れます。社会党・民社党・公明党など多くの党が連立に参加しました。しかし翌年、自民党と社会党(村山富市首相)が連立を組むという「自社さ連立」が誕生し、社会党は護憲・反自衛隊路線を大きく転換。これが支持者離れを招き、1996年には「社会民主党(社民党)」へ改称し、党勢は一気に縮小します。
その一方で、同年には新たな流れとして「民主党(初代)」が結成され、民社党や新党さきがけ、旧社会党右派など、改革志向の中道・リベラル政治家が合流しました。これが後の民主党の中核となります。1998年、複数の小政党が合併して「新・民主党」が結成され、2000年代には政権交代を視野に入れる最大野党へと成長。2009年には鳩山由紀夫を首相とする民主党政権が誕生し、3年3カ月にわたり自民党以外による政権運営が実現しました。しかし、東日本大震災への対応、普天間基地問題、消費税増税などで支持が急落し、2012年の総選挙で大敗。ここから民主党は分裂と再編の道をたどります。2017年には希望の党との合流をめぐって党内が割れ、一部は「立憲民主党」を結成。護憲・リベラル色を強く打ち出し、都市部の有権者から一定の支持を得ます。一方で、現実路線・中道志向の議員たちは「国民民主党」を立ち上げ、政策重視・改革推進のスタンスで活動を継続しています。
1955年の社会党再統一を起点とする戦後日本の中道・左派政党は、理想と現実、保守と革新のはざまで分裂と再編を繰り返してきました。その流れは、それぞれが時代背景と国民意識の変化を受けて変容してきた証です。
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