日本史と世界史で読み解く 日米物語 第15回(6) ワシントン会議と太平洋の秩序

― 「5:5:3」の裏側で、日米は何を考えていたのか ―
・日本では軍部や国家主義勢力が勢力を拡大
アメリカではフランクリン・ルーズベルトがニューディール政策を進めます。両国の進む方向は次第に大きく違っていきます。
・1931年、満州事変
そして1931年、日本では満州事変が起こります。関東軍の南満州鉄道線路爆破をきっかけとして軍事行動を拡大し、満州を占領。1932年には満州国が成立します。これはワシントン体制を大きく揺るがす出来事でした。
アメリカは日本の行動を強く警戒します。
国際連盟も調査団を派遣し、リットン報告書をまとめます。
日本と国際社会の関係は急速に悪化していきました。
・1933年、日本は国際連盟を脱退
1933年、日本は国際連盟からの脱退を通告します。
1920年には国際連盟の常任理事国だった日本。
ワシントン会議では国際協調を進めていた日本。
それからわずか十数年で、国際社会との距離を広げる方向へ進みました。
ここには、「国際協調から独自路線へ」という日本外交の大きな転換がありました。
・そしてワシントン体制は崩れる
ワシントン会議が目指した太平洋の秩序は、1930年代に入ると急速に崩れていきます。
日本は満州へ進出。中国との戦争が拡大。
アメリカは日本の行動を警戒。
日米間の経済関係も次第に悪化します。さらに海軍軍縮条約も維持できなくなります。
1936年、日本はワシントン海軍軍縮条約の枠組みから離脱します。
こうして、「軍縮によって太平洋の平和を維持する」という1920年代の試みは終わりに近づいていきました。
・1922年と1941年
1922年。日本、アメリカ、イギリスなどがワシントンに集まり、「どうすれば戦争を避けられるか」を話し合いました。
それから19年後。1941年12月7日。日本軍がハワイの真珠湾を攻撃します。
この二つの出来事の間には、世界恐慌。満州事変。日中戦争。国際連盟脱退。海軍軍縮体制の崩壊。日米通商関係の悪化。など、数多くの出来事がありました。
したがって、真珠湾攻撃は突然起きたものではありません。1920年代に作られた「協調の仕組み」が、1930年代に少しずつ崩れていった結果でもあったのです。
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