日本史と世界史で読み解く 日米物語 第15回(7) ワシントン会議と太平洋の秩序

十三夜の月のイラスト

― 「5:5:3」の裏側で、日米は何を考えていたのか ―

本回のまとめ――平和を作るのは、条約だけではない

ワシントン会議は、世界史上非常に重要な実験でした。大国が集まり、

「軍艦を減らしましょう」
「中国の領土を尊重しましょう」
「太平洋の現状を維持しましょう」と約束したのです。

一時的には成功しました。1920年代には、日米関係も比較的安定していました。しかし、世界恐慌が起こり、各国の国内政治が変化すると、条約だけでは対立を抑えられなくなります。

ここから学べることは、平和とは、条約を一枚結べば完成するものではないということです。経済。国内政治。軍事。外交。世論。そして人々の相互理解。これらすべてが関係しています。

ワシントン会議は、第一次世界大戦後の世界が「戦争のない世界」を作ろうとした重要な試みでした。しかし、その試みは完全には成功しませんでした。
そして1929年の世界恐慌を境に、世界は再び不安定になっていきます。

日本では軍部の影響力が強まり、アメリカではニューディール政策が始まります。
やがて両国は、同じ太平洋を挟んで、まったく違う道を歩むことになります。

次回予告

第16回「世界恐慌と日米の分岐点」― 1929年、世界経済の崩壊が二つの国をどう変えたのか ―

1929年、ニューヨークのウォール街で株価が大暴落します。その影響はアメリカだけにとどまりませんでした。世界中で失業と不況が広がり、日本にも深刻な影響が及びます。しかし、同じ経済危機に直面した日本とアメリカは、まったく違う対応を選びました。

アメリカではルーズベルト大統領がニューディール政策を進め、政府が経済や社会に積極的に介入します。

日本では、農村の困窮や政治不信を背景に、軍部や国家主義勢力の影響力が強まっていきます。そして、満州事変、リットン報告書、国際連盟脱退へと歴史が動いていきます。「経済危機が政治を変える」という視点から、日米がなぜ1930年代にまったく異なる方向へ進んだのかを見ていきます。

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