除夜の鐘



大晦日には各寺で除夜の鐘を突く習わしです。除は「除く」という意味の他に、「古いものを捨てて新しいものを迎える」という意味があるそうです。その意味だと毎日が除夜なのですが、とくに大晦日の夜を除夜と呼び、新年の新魂を迎えるということだそうです。大晦日の夜は各地のお寺で除夜の鐘を突きますが、除夜の鐘を突く回数が108回というのは人間の煩悩(ぼんのう)の数といわれています。その108個の煩悩を全部言える人はまずいません。

煩悩とは自分自身を苦しめる心のことです。仏教用語だということはわかります。仏教では欲が満たされたら苦しまなくて済むのかというと、そんなことはないと考えられています。これを有無同然(うむどうぜん)と言います。欲しいものが手に入っても人間は幸せになれないということです。たとえばお金や権力を手に入れたら幸せになるかというとそうでもなく、自分の外の環境をいくら変えても幸せにはなれないと教えています。幸せになれない原因は自分の外にあるのではなく、自分の内側にあり自分自身を苦しめる心を仏教では煩悩と呼んでいます。

108個ある煩悩の中で特に人を苦しめる3つの煩悩を貪欲(とんよく)、瞋恚(しんい)、愚痴(ぐち)といいます。仏教ではこれらを「三毒の煩悩」という呼んでいます。仏教では懺悔文(さんげもん)という経文を唱えます。我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)皆由無始貪瞋痴(かいゆうむしとんじんち)従身口意之所生(じゅうしんくいししょしょう)一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)と唱えます。貪欲とは底なしの欲のことです。無限の欲を満たし続けるのは不可能なことで、欲が満たされないことが次の煩悩である瞋恚につながります。瞋恚とは怒りのことです。欲が満たされないことで怒りが増幅します。怒りは抑制できない感情で、一瞬で仕事や人間関係を台無しにするものです。怒りに駆られた人間には後悔が残ります。愚痴とは羨ましい気持ちや妬みの気持ちです。

煩悩が108個あると言われる由来には諸説あります。よくいわれるのは六根(6)×好・悪・平(3)×浄・染(2)×過去・現在・未来(3)をすべて掛け合わせると108になるという説です。六根とは人に感覚を生じさせ、迷いを与えるもののことで、眼、耳、鼻、舌、身、意の6つを指します。好・悪・平は人間の感情のあり方を表しています。好=快感、悪=不快、平=どちらでもないというあり方です。浄・染は浄=きれい、染=きたないという意味です。三世は、過去・現在・未来や前世・今世・来世を表します。

別の説では四苦(4×9)と八苦(8×9)を足した数が108になることから、煩悩は108個あるとされているというのです。

気候や季節の変わり目を表す暦に由来しているという説もあります。月の数(12)+二十四節気(24)+七十二侯(72)を足すと108になります。二十四節気と七十二侯については、このコラムでも折々に紹介いたしました。

108という数字は意外にいろいろ組み合わせがあるものなのですね。

除夜の鐘の起源は中国で宋の時代だそうで、その時には、朝夕2回、108つの鐘をついていました。日本でも鎌倉時代くらいから禅宗のお寺で朝夕2回、108つの鐘をつくようになったそうです。鐘撞きのお坊さんは大変だったでしょうね。

それが室町時代くらいになると、除夜にだけつくようになり、除夜の鐘になりました。

江戸時代くらいまでは広まっていましたが、明治時代、大正時代には除夜の鐘はあまりつかれなくなってしまいます。

現代のように日本中に広まったのは、1927(昭和2)年に、ラジオ番組で大晦日に近所の寺から借りてきた鐘をスタジオに持ち込んで108回鳴らして放送されたことだそうです。それが1929年には実況中継になり、1932年からはリレー中継になります。

「ゆく年くる年」ももともと『除夜の鐘』という番組名でした。

除夜の鐘もマスコミの影響が強かったのですね。もっとも最近はうるさいといって文句を言う人もいたり、お坊さんがいないので、自動鐘撞機だったり、1回いくらでお金を取って鐘を撞かせたり、とだいぶ様変わりしてきました。

大晦日はせめて仏の教えについて考えてみてはいかがでしょうか。その方がよい新魂がやってくると思います。

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