エッセイと随筆
2月28日はエッセイストの元祖とされるフランスの哲学者ミシェル・ド・モンテーニュ(1533~1592)の誕生日です。モンテーニュは『随想録(エセー:Essais)』の中で現実の人間を洞察し人間の生き方を探求して綴り続けました。この本は体系的な哲学書ではなく、自分自身の経験や古典の引用をもとにした考察を語っています。これがフランスのみならず各国に影響を与えました。
エッセイについてはいろいろな定義がありますが、一般に文学における一形式で筆者の体験や読書などから得た知識をもとに、それに対する感想・思索・思想をまとめた散文であるとされています。
日本における随筆の起源は平安時代中期に清少納言によって書かれた『枕草子』であるとされています。枕草子における日常的風景に対する鋭い観察眼は「をかし」という言葉で示されています。2024年のNHK大河ドラマ「光る君へ」は紫式部が主人公だそうですが、ライバルの清少納言も登場するそうです。
随筆としては鎌倉時代初期の鴨長明の『方丈記』や鎌倉時代末期の吉田兼好(兼好法師)の『徒然草』など優れた随筆作品があり、枕草子と合わせて「日本三大随筆」と呼ばれています。
エッセイはフランス語でessai、英語でessayですが、essaiの原義は「試み」であり、そこから「試論」という意味もあり、学術的な論文でもエッセイということがあります。とくに哲学的な論文にこうしたタイトルがつけられることが多く、議論のための問題提起のようなニュアンスを持っています。議論の時間を節約するためには、問題提起者が、あらかじめ予想できる議論の内容、意見の内容を書き出しておくことも非常に重要です。そのうえで予想できない意見や反論、賛成論を聞くほうが時間の節約になります。そもそも究極的には完全完璧な理論などありえないという前提があります。とくに哲学的話題は短期間に完全完璧を期すのは不可能なので、哲学ではおのずと試論が多くなるわけです。たとえ完全完璧でなくても、一定の結果や結論が必要な場合もあります。仮説や試論のままでよい場合もあるわけです。政治に関する議論は結果が出るまでに時間がかかり、結果がよければ正しかったということになりがちです。学問の多くは仮説を立てて検証するという方法が多いので、新しいアイデアの公開は試論にならざるを得ません。
近年急激に発達してきたAIは仮説を立てずに推論を求める方式です。検証過程が不明なので、結果オーライにならざるを得ないのですが、AIに随筆を書かせてみるとどうなるか興味深いです。
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