東日本大震災
2011年3月11日気象庁による正式名称である「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」が起きました。震災とは地震による被害のことなので、自然科学的表現としては気象庁の命名が正しいのですが、一般には被害のことが重要なため、東日本大震災と呼ばれています。東日本の人々には衝撃的な被害であり、ことに福島原発の問題がいまだに残っているので、どうしても思い出さざるをえません。
1995年(平成7年)1月17日に発生した兵庫県南部地震により発生した阪神・淡路大震災は西日本の人々に衝撃を与えました。どちらの震災も火事による被害が大きかった点は共通していますが、あまり知られていないのが、被災者の分類、つまり罹災率です。災害になった時、逃げるのに助けを必要とする人を要避難援護者といいますが、その要避難援護者の罹災率はどちらの災害でも通常者の約3倍になりました。
東日本、西日本だけでなく、2016年(平成28年)4月14日の熊本・大分地震や、2018年(平成30年)9月6日の北海道胆振東部地震は記憶に新しい災害です。それ以外にも多くの地震や震災があり、例年のように洪水や山崩れなど、日本は本当に災害が多い国です。
東日本大震災での原発被害は政府の対応が問題になりました。当時の政府は被害を少なくみせようとしたのか、メルトダウン(炉心融解)をなかなか認めようとしませんでした。私の経験として、震災の直後に渡米したので、現地の報道がすべてnuke melt downと報道しており、軍人も含めてアメリカ人は遠くに退避したことを報道していました。日本の報道でも、災害や事故があると邦人の被害の有無が真っ先に報道されるので、アメリカとしては当然のことです。当初から原発事故により放射能が拡散され、チェルノブイリ、スリーマイルの事故との比較や原子炉の構造と炉心溶解の報道があふれていて、よくわかりました。帰国して日本の報道を見て落差に驚きました。
事故後に実施された調査委員会報告には関心があり、政府つまり内閣が組織した事故調査委員会の他、国会も事故調を開催し、日本学術会議も事故調を開催しました。当然ながら、立場の違いから、検証結果は異なります。とくに政府事故調の中にいわゆる「吉田調書」の内容の誤報が朝日新聞によってなされたことはその後に影響を与えました。国会事故調 は「オフサイトセンターは事故発生直後の時期にその機能を全く発揮することができず、この間の事故対応に何らの寄与もなし得なかった」という結論を出しています。学術会議事故調は「そもそも設置場所や設計に問題があった」という結論を出しています。原発事故問題は今も処理水問題がありますが、これもそもそもこういう貯水タンク方式が正しかったのか、検証の必要があります。
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