彼岸明け
彼岸というと中日である春分の日だけと思われがちですが、彼岸の入りが3日前、彼岸の明け(出とはいいません)が3日後です。都合7日間が彼岸という時期です。
彼岸とはあの世のことで、此岸(しがん)がこの世のことです。お釈迦様は「彼岸に渡れ」と説かれました。彼岸とは人々が欲や煩悩から解放された世界です。彼岸に渡ることは大乗仏教の基です。般若心経の終わりの方に「羯帝羯帝波羅羯帝波羅僧羯諦(ぎゃーてーぎゃーてーはらそうぎゃーてー)」という文言がありますが、これは「往き往き、彼岸に往けるもの、その者こそ悟りである」と訳されています。現代語に訳すなら「行こう、行こう、彼岸に行こう、完全に彼岸に到達した者こそ、仏の悟りそのものである」ということになります。英訳版でもGate, Gate, Paragate, Parasamgateとなっていて、マントラ(真言)という原語(サンスクリット、パーリ語)のままです。あえて訳さずそのまま唱えるわけです。英語のある解釈版ではGone, gone across, you who have gone across, across to the other shore なっていて表面的な意味(直訳)は日本語と同じです。つまり彼岸に行くというのは悟りを得るということだと説いています。その意味ではご先祖様がすべて彼岸においでになるかどうかはわかりませんから、お迎えするのはお盆であり、お彼岸は本来、ご先祖をお参りすることではないのですが、日本では浄土思想が普及していて、亡くなった方はすべて仏様になり(成仏して)、彼岸(極楽浄土)にいると思っているので、お墓詣りをするわけです。
日本語には「死ぬ」ということに対してたくさんの婉曲表現があります。「鬼籍に入る(きせきにいる)」というのは死んだら鬼になるということではなく、閻魔大王の帳簿(えんまちょう)に死んだことが記されるので、それを鬼籍と呼んでいるからです。鬼籍に記入された後、生前の罪、善行などから極楽行、地獄行が決められます。極楽行となった者は彼岸で暮らしているわけです。それは生前に善行を積んだおかげですから、生きている子孫はご先祖のお墓でどうしたら善行を積んでそちら(彼岸)にいけるか、おたずねして、その真似をすることが大切です。言い方を変えると死んだ後のことを考えて、生きていくということです。
ところが現代は生きている今のことしか考えなくなっています。死んだ後のことなどどうでもよい、とか死んだら何もなくなってしまう、という死生観の人が増えました。だから平気で悪行を重ねることができるのです。
春彼岸の時期にはそのことを思い起こし今年一年をどうすごすべきかを考えるわけですが、これはこの時期のことだけでなく、一年中いつも考えるべきものです。
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