5・15事件


犬養毅

今こそ、5・15事件について再考すべき時期だと思われます。歴史の時間に5・15と2・26はセットで習うので、何となく関連があるように思っている人が多く、実際、多くの解説が戦前の軍部が諸悪の根源のような見方をしているので、そう思うのも無理はありません。しかし落ち着いて、両者を比較してみると違いがあることがわかります。まず年代から見ると5・15が1932年、2・26が1936年と4年の差があります。4年間というのは短いようでも、長いようでもありますが、変化が起こるには十分な期間です。今では第1次世界大戦も第2次世界大戦も続けて起きたような感覚になりがちですが、WWⅠは1914-1918、WWⅡは1939-1945で、戦争期間はそれぞれ4年間、6年間です。戦争と戦争の間、つまり平和期間は21年間で、その間に5・15と2・26があったわけです。

今、ロシアとウクライナが戦争していますが、WWⅠの期間である1917-1921にもロシア(ソビエト)・ウクライナ戦争がありました。ほぼ百年前のことです。平和期間といえど、世界のあちこちで紛争が起きていました。日本との関連でいえば中国は国共内戦(第1次1927-19379であり、満州事変(1931-1933)なども起きていました。こういう近現代史は習うことも少なく、明治維新を過ぎてからはドラマになることも少ないため現代の日本国民の大半が理解していないのが現状でしょう。

5・15事件の頃、金融恐慌が起きていて、1923年の関東大震災、1929年のアメリカ発世界大恐慌が起こり株価が暴落、1929年から1932年の間に世界の国内総生産 (GDP) は推定15%減少したといわれています。そして1918年から1920年にかけ全世界的に大流行したH1N1亜型インフルエンザの通称。初期にスペインから感染拡大の情報がもたらされたため、スペイン風邪が流行して、約5億人が感染し、それは当時の世界人口の約27%でした。今回(2019-2023)のCovid19(中国風邪)の感染者数は約7.6億人だそうですから、これもほぼ百年後といえます。東日本大震災が2011です。昭和三陸地震は1933年でした。金融は今年になってアメリカの銀行破綻が相次いでいて、絶対安全といわれてきたスイスの銀行も破綻しています。

ただ当時の日本は軍の力が強く、欧米ではWWⅠの反省から軍縮の動きが強く、戦勝国であった日本も軍縮を迫られ、それに不満をもった若手将校がクーデターを計画しました。しかし当時の若槻内閣は退陣、結局次の犬養毅首相が襲撃されました。クーデターとしては不首尾に終わりましたが、以後軍部の力が強くなり挙国一致となって、それが4年後の2・26事件へとつながっていったとされています。今は軍という組織はないに等しい状態なので、情勢は似ていても結果は異なるのかもしれません。

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