自尊心と自己中心主義
「もっと自信をもちなさい」「誇りをもちなさい」と、落ち込んでいる人に忠告することがよくあります。善意からの忠告ですが、言われた人からすると「どうやったら誇りがもてますか?」と反論されることが多いです。具体的な方法がないと、落ち込んでいる状態からなかなか抜けられないものです。
もし仮に何かのきっかけで自信を取り戻し、誇りがもてるようになったとして、今度はそれが行き過ぎて、自信過剰になってもまた困ります。薬に副作用や中毒性があるように、自信や誇りといった自己肯定感も過剰になると、自己中心的になり、さらにひどくなると排他的になります。とくにひどく落ち込んだ人ほど、反作用も大きく、他人の言うことなど聞かない、という独善的になりやすいです。
集団において、少数で悲哀を感じていた人が、何かの都合で権力をもつと、すり寄ってくる人が急増して、にわか多数派となり、自信過剰になって、独裁的になりがちです。集団の多数の力に負けていた分、多数派になった途端に多数の横暴をしがちです。社会的少数派、マイノリティについても同様の傾向になりがちです。米国のBLMは今に始まったことではなく、昔の黒人運動の延長戦にあり、明白な差別があった昔は差別廃止を叫んで強い力となって差別制度をなくすことができたのですが、その差別がなくなった後も、さらに新たな差別を見つけ出し、時には自己にとって不利益なことはすべて差別として排他的な行動をとるようになりました。客観的に見れば過剰反応であり逆差別ではないかと思われるような行動になっていきます。Black is beautifulというスローガンまではprideということになりますが、Black Lives Matterとなると、黒人以外の人のlives(生命、人生、生活)はどうでもよいのか、ということになります。日本でもよく人権という用語で「犯罪者にも人権がある」という論理で被害者の人権や加害者でもない被害者でもない人の人権を考慮しないような排他的主張をする人がいます。本来、人権は誰にも平等にある、ことが基本なのですが、人権が失われているという主張のあまり、他の人権にまで考えが回らなくなってしまいがちです。人権human rightsという思想は「自然に備わっている」「神から与えられた平等」という思想が背景にあります。それを抜きにした主張は論理破綻してしまいます。動物愛護も神が創造されたという前提を忘れると、動物のために人を虐待してよい、ということにもつながっていきがちです。仏教でも悉有仏性といい、すべての生命には仏性がある、と説いています。特定の命の尊重だけを意味してはいません。少数の意見の尊重とは少数が支配してもよい、ということではないのです。しかし多数決だと負ける人々は曲解して利用することも多いです。自己肯定の範囲を知るべきでしょう。
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