日本海海戦と日露戦争


戦艦三笠

1905年(明治38年)5月27日日露戦争の日本海海戦において東郷平八郎が率いる日本海軍連合艦隊が、ロシアのバルチック艦隊を撃滅し、日本が歴史的な大勝利を収めました。このことは世界史上重要な出来事でした。ソ連になる前のロシアに勝利したので、反露の国々では今も高く評価されています。TOGOというビールが今もあります。日露戦争の勝利にポーツマス講和会議となり、日本の地位が国際的に高まりました。そして勝利を記念して「海軍記念日」に制定され、この日には記念式典などが行われていました。しかし1945年(昭和20年)を最後に、日本の太平洋戦争敗戦により第二次世界大戦後に廃止されてしまいました。同様に日露戦争で1905年(明治38年)3月10日に旧満州(中国東北地方)の奉天(現:瀋陽)を占領したことを記念して設けられた「陸軍記念日」も戦後に廃止されてしまいました。こういう国は世界的に見て珍しい、というか極めて例外的です。どこの国でも戦勝は誇りであり、いつまでも語り続けるものです。海外旅行に行くと必ず目につきます。無論、相手国に再度占領された場合は弾圧されて消滅することはありますが、独立した時には復興するのが常識です。日本のように廃止のまま、というのは外国には理解されません。

海軍記念日、陸軍記念日は廃止されましたが、現在でもこの日に神奈川県横須賀市の記念艦「三笠」において日本海海戦記念式典が毎年開催されているそうです。三笠内の講堂で、国家斉唱、黙とうなどが、艦上では海上自衛隊音楽隊による演奏会が行われているそうですが、大々的に報道されることはありません。戦艦「三笠」は日露戦争において連合艦隊旗艦として連合艦隊司令長官の東郷平八郎らが座乗しました。旗艦つまりフラッグシップであり、現代でもフラッグシップの重要性は企業では重視されています。三笠は国内製造でなく英国に発注した外国製ですが、当時の日本の造船力では無理だったのです。戦費も外国債で賄いました。戦勝すれば賠償金がとれると思い込んでいた国民には不満が残りました。戦争と経済は不可分の一体です。

こうした記事を書くと「軍国主義」として批判する人がいます。その意味では今でも世界中が軍国主義であり、世界史、日本史は戦争の歴史です。争いや戦いは人類とともにある、という事実は覆い隠せません。平和主義を唱える人々も「敵」と争っているという自己矛盾を抱えることになります。「争わないに越したことはない」というのが最近の日本人の考えですが、議論によって解決法を見つけていく、という弁証法的な思想もあります。言論による争いは必要と考える人もいます。力による解決は力によって壊れるのもまた歴史的事実です。

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