小牧・長久手の古戦場


秀吉と家康

「どうする家康」は小牧・長久手の戦いに入ります。天下分け目の戦いといえば関ヶ原の戦いをイメージする人が多いのですが、個人的にはこの戦いが家康と秀吉の実質的な戦いであり、分け目だと思っています。結果的に勝敗が曖昧でしたが、それは家康の戦略であり、最終戦は大阪冬の陣と夏の陣で豊臣家を滅亡させるので、これが最終戦です。しかしその前の関ヶ原の戦いで趨勢は決まっていました。すなわち家康対秀吉の争いは、小牧・長久手から始まり、関ヶ原を経て、大阪でトドメを刺したというのが軍事的な見方だと思います。

愛知県には小牧・長久手を始め、桶狭間、長篠などの有名な戦いの古戦場がたくさんあります。それは通称尾張三英傑である信長、秀吉、家康がそこの出身だからであり、いわゆる天下人が次々に現れたことで、その根拠地で戦闘が多かったのは当たり前のことといえます。しかし、全員根拠地に支配のための城を築くのではなく、信長は安土、秀吉は大坂、家康は江戸に中心をもっていったには理由がありそうです。よくあることですが、生誕地(出身地)と活躍地は別のことが多いのです。理由は生誕地は自分ではどうにもなりませんが、活躍地は自由に設定でき、政治や経済の理由で思想的に決定できます。

小牧・長久手の戦いに出てくる小牧山城、犬山城、楽田城、岩崎城は愛知県民にとってはなじみのある史跡で、詳しい歴史を知らなくても、大体の位置関係は把握していると思います。現在は古戦場のほとんどが住宅地になっており、小さな山を見ながら、イメージを膨らませるしかありませんが、当時は広い原であったはずです。何千、何万という兵が槍をもって戦うには相当広い場所が必要なので、戦場は作戦的にも広い場所を設定し、そこに陣を張って、互いに端緒をどうするか、にらみあいになるのが普通です。実際、古地図を見ると、かなり広い地域であることがわかります。原とは限らず、畑などの農地であった可能性もありますが、映画やテレビのドラマでは、どこかロケ地を探して原っぱでの戦いになっています。畑を踏み荒らしての戦いは映像的に都合が悪いのでしょう。実際には戦になると畑が踏みつぶされ、農民も雑兵として駆り出されることも多かったようです。戦が終わった後、死んだ兵から物を盗ったりする農民の姿が描かれるシーンもありますが、実際問題として、農地が壊され、作物も奪われた農民が生きていくには「戦利品」を売ることでどうにか糊口をしのいでいたことは想像に難くありません。侍は所領や褒美をもらえますが、借り出された雑兵まで回らないでしょうから、なかば公認だったことはありえます。

古戦場で戦った将兵に思いをはせるのは歴史を知る上でよいことだと思いますが、現実世界とのギャップや当時の民衆について、想像してみることも大切ではないでしょうか。

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