ことばの意味と存在
ことばにはいろいろな意味がありますが、その1つに言霊(ことだま)というのがあります。ことばには魂が宿り、それが現実の世界に反映するという思想です。物理学ではありえないので、迷信として排斥する人もいますが、一方で、相手を呪ったり、神様や仏様にお願いする時にもことばでするので、言霊をまったく信じないなら無意味な行動ということになります。ことばを物理的に解析することは非常に難しいです。音声を物理的に研究し、構造を示すことはできますが、その機能は説明できません。文字も物理的には紙の上のインクの染みでしかないのですが、そこに人は意味を感じ、美醜を感じます。
8月19日は俳句の日だそうで、まさに語呂合わせですが、この語呂合わせを物理的に説明しても無意味でしょう。俳句は日本独自の言語文化といえそうですが、Haikuとして海外でも広がっています。日本人の多くは俳句は五七五の韻律があって、季語がある、という古典的な定義を認識しています。季語がないと川柳という別ジャンルになっています。しかし自由律という五七五を守らない俳句もあり、有名なサラダ記念日のような形も現代句として認められています。Haikuの方はほぼ自由律で、そもそも英語や他の言語で五七五を守ることはかなり難しいといえます。日本語の韻律はモーラという母音を核とした音節で数えるので、欧米の言語などに音節的な規則化を韻律と考えることは不可能ではなくかなり困難です。欧米の言語では韻律はrhyme という母音の型を韻律と認識するしくみになっています。欧米のHaikuは日本の俳句のような叙景的な短文を創造するようです。そもそもHaikuは日本の俳句の英訳から始まったものなので、韻律はほぼ伝えていません。たとえば「古池や、蛙飛び込む水の音」はA flog jumps into an old pond.と訳されています。情景はうまく訳されていますが、音韻はほぼ無視です。翻訳はそこが限界ともいえます。反対に欧米の詩の日本語訳の多くは七五調で訳されてきました。その方が日本人の感性に合うと考えてのことです。このように「音韻の壁」はけっこう強固です。これを物理学的に証明することは不可能だろうと思います。実際、脳科学で音韻の局在個所はわかっていません。「日本人の脳」という表現がたまにありますが、それは実際の脳の物理構造ことではなく、脳の機能の分析のことで、要するに文化ということを説明しているにすぎません。
科学的に考えると、ことばは物理的存在ではなく、抽象的な概念上の存在、難しい表現をすれば形而上学的存在ということになります。英語でいうとmetaphysical entityということです。日本の言霊という思想は形而下的に存在しなくとも形而上は存在するという主張であり、それを形而上学的に否定する論理はあるのでしょうか。敷衍するならば、神の存在、死生観、など哲学的存在を否定する論理はかなり困難だと思います。欧米には「ことばは神」という思想もあります。
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