欧米の古戦場
日本の古戦場はほとんどが住宅に埋め尽くされ、昔の面影はわずかに残る土塁とか小山と碑だけということが多いのですが、欧米の古戦場は当時の面影を残していることが多いというのが個人的な印象です。理由は簡単で、城の大きさと建築方法にあると思われます。日本の城は天守閣を中心にして、堀や土塁で周囲を囲む形が一般的で、現在、堀は埋められて道路になっていたり、土塁は崩されて、一部に石垣が残っているだけです。天守閣も木造のため火事で焼失して礎石が残っているだけ、ということも多いです。
西洋の城は、城自体が1つの街になっているのがほとんどで、街の周囲を石垣で囲んでいます。堀を作る場合もありますが、ない場合もあります。堀を作って、小さな橋を架け、それを上下させて出入りを管理します。橋の入り口は城門になっており、門は上から鉄柵が下りるようになっていて、二重に侵入や出城をできなくしています。映画などでご覧になった方も多いと思いますが、相当頑丈にできています。そして城内に店や街があり、人々が住んでいます。近年は城外にも人が住むようになっていますが、昔は城外は人が住まないようになっていました。今でも昔の雰囲気を残した城が各地に残っていて、城壁には砲弾の跡が残っていたりして、昔の面影を偲ばせます。日本ではフランス語のシャトーやドイツ語のシュロスを城と訳していますが、西洋の城は砦や王城の場合だけでなく、修道院のこともシャトーと呼びます。ワイン作りは修道院の大切な事業ですから、今では修道院がなくなっても、ワイン工場をシャトーと呼んでいます。
日本では函館の五稜郭が西洋風の城郭建築として有名です。堀を周囲にめぐらした星型の城郭はそれまでにない形式で、当時の最新式の城郭建築でした。ただ五稜郭の場合、中に街を作るという発想ではなく、奉行所と役宅だけを中に作り、周囲にさらに土塁を作るという形式で、ヨーロッパの城郭に比べると比較的小さな規模でした。
戦場は大勢の人が戦う場所ですが、ただ戦うだけでなく、そのための食事場所や休憩場所も必要ですし、食料の置き場所、武器の置き場所など、一般に想像するよりもはるかに広大な場所が必要です。それが陣地ということですが、そこを急襲するという戦法もあり、数では負ける大軍に対して少数で対抗するにはこういう方法がとられます。それがいわゆるゲリラ戦です。大軍同士が戦う場合には、各地で小規模な戦いを展開し、陣地を増やしていくことになりますので、諜略によって寝返らせるのも1つの効率の良い戦法です。こうして戦う前に盟約を結んだ仲間が突然裏切ることもよくあるので、よほど強い同盟関係がないと大軍を動かして勝利をつかむのは容易ではありません。裏切りを考えると正面の敵だけでなく背後や側面の配置も重要です。そうなると実戦場以外の用地も考えて戦場を選ぶことになります。それが古戦場を見るとわかります。
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