旧暦の八朔
今年は新暦9月15日が新月で、旧暦八月一日、八月朔日つまり八朔となります。
八朔といえばミカンしか思い浮かばない人がほとんどだと思いますが、昔の人々にとっては重要な日でした。この頃、早稲の穂が実るので、農民の間で初穂を恩人などに贈る風習が古くからありました。このことから、田の実節句(たのみのせっく)ともいう言い方もあります。この「たのみ」を「頼み」にかけ、武家や公家の間でも、日頃お世話になっている(頼み合っている)人に、その恩を感謝する意味で贈り物をするようになったそうです。なんとなく現代のお中元、お歳暮と似ています。
室町幕府において既に公式の行事として採用されたことが知られていて、幕府の関東地方における出先機関であった鎌倉府で八朔の儀式が行われており、関東の諸大名や寺社から刀剣や唐物、馬などが鎌倉公方に献上され、鎌倉公方からも献上者に対して御礼の品となる刀剣や唐物、馬などが下賜されていたそうです(wikipedia)。江戸時代は徳川家康が天正18年8月1日に初めて公式に江戸城に入城したとされることから、江戸幕府はこの日を正月に次ぐ祝日としていました。
京都市東山区の祇園一帯などの花街では、新暦8月1日に芸妓や舞妓がお茶屋や芸事の師匠宅へあいさつに回るのが伝統行事になっていますが、これは旧暦の八朔の行事を引き継いだものといわれています。この時に着物を新調することも多く、良い旦那衆(スポンサー)のいる芸妓や舞妓は良いのですが、そうでもない場合には見栄もあり、なかなか苦労したようです。おねだりされなくとも、季節になるとそういう行事があることを知っていて、さりげなく手配できるのが粋ですから、旦那衆もたいへんです。
地域によっては今も八朔祭りをする地域もあり、神輿が出たり、屋台がでて賑やかなようです。福岡県遠賀郡芦屋町では「八朔の節句」として長男・長女の誕生を祝い、男児は藁で編む「わら馬」、女児は米粉で作る「だごびーな(団子雛)」を家に飾る行事が行なわれており、300年以上続く伝統行事として、無形の民俗文化財となっているそうです。香川県三豊市仁尾町の一部や兵庫県たつの市御津町室津地区などでは、歴史的経緯によって本来は旧暦3月3日に行われる雛祭りを八朔に延期する風習を持つ地域もあるそうです。雛祭りの頃は農業が忙しいので、八朔に延期しているのかもしれません。
八朔は立春から半年後であり、1年の半分が過ぎた時期です。農家では初穂刈りの後、本格的な収穫を迎え、その後は豊年祭りをして、農閑期となり、身体を休める時期になります。温泉に行ったり、神社仏閣の参詣など、楽しみの時期を迎えます。厳しい冬を迎える前のひと時、暮れの喧騒の前ののんびりした時期の始まりで、農家にとって、八朔は折り目、節目の日ということになります。こういう気分転換というのも昔の智慧だったのでしょう。
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