明治維新は旧暦を消せなかった


中秋

明治5年、西洋かぶれした明治政府官僚は強引に新暦への転換を行いました。しかしいかに政府が強大でも、月や太陽の運行までは変えられません。旧暦は太陰太陽歴という月と太陽の運行を元に暦を作っているので、その運行が不規則であれば、当然ズレが生じます。そのズレを埋めるために人工的な工夫で調整を図ってきました。閏はその結果です。

今年は閏月があり、完全に1カ月旧暦が遅れました。中秋の名月は八月十五日の月と習慣として決めたため、満月であることは確実なのですが、それが新暦のいつになるかは年ごとに違います。新暦では多くの旧暦の行事を機械的に日付を移動させました。しかし新暦の八月十五日を中秋の名月とすることはできませんでした。新暦のこの日が満月になることは滅多にないからです。止むをえず、「今年は9月29日が中秋の名月です」ということがテレビの気象予報の時間に流しています。しかし考えてみると、他の行事は日にちが決まっているのに、名月だけ日にちが決まらないというのはおかしいですよね。とくに今年のように夏の暑い日が続き、ようやく涼しくなって秋を感じられるようになった時期に中秋の名月と言われた方がしっくりきます。中秋の名月は単に月がきれいということだけでなく、季節感も一緒に味わうことが大切なのです。団子や芋も楽しみですし、これは豊作への感謝ということも子孫に伝えていくことが大切なのです。これが文化の伝承であり、外国人に受けようと受けまいと日本の文化なのです。

明治の文明開化は西洋文明への劣等感から、日本の伝統文化をすべて悪と決めつけて廃止しようとしました。文化や習慣の根幹である宗教への弾圧も加えました。中には日本語を無くそうと考えた文部大臣もいたくらいです。外国によって侵略された結果、言語、宗教、文化を奪われるという歴史は世界の各地にありますが、自ら放棄しようとしたのは明治政府くらいです。明治政府高官はやはり西洋文明のことをよく理解していなかったのでしょう。ちょっと西洋を見て、違いに驚き、真似ようとしただけです。この傾向は太平洋戦争後の日本の官僚にも見られます。今もあるかもしれません。いわゆる舶来主義、西洋が優れていて日本は劣っているという思想です。

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