違文化


浴衣

異文化というのは、自分からみて、相手の文化が異なる文化である、という意味です。しかし、近年、相手の文化を尊重し、うまく真似たつもりでも、本来の文化とは違いがある現象が目立ちます。これを私は違文化と呼んでいます。

近年、政府のインバウンド・キャンペーンで、観光地に外国人が押し寄せてきています。彼らの一部は「kimono」を着て、うれしそうに写真を撮ったりしています。それらのkimonoは日本の着物と違い、薄っぺらい化繊生地の浴衣であり、伝統的な日本人の着物感覚とは違います。そもそも浴衣は名前の通り、湯上りに着るもので、日本では夏だけ、外に着ていくものです。今でも夏祭りや花火大会に浴衣を着ていくことは当たり前ですが、外国人観光客は服の上に着たり、丈が短かったり、靴を履いていたり、着崩れていたりしたまま、写真に撮っている姿がテレビなどで放映されています。それを見た外国人観光客はそれが当たり前と思うことでしょう。彼らはkabukiを見たり、茶席の正式な着物姿を見るので、正式な着物を見ています。そしてそれらが高価であることも、おそらくわかっています。観光地のkimonoがナンチャッテであることもわかっているかもしれません。しかしそんなことは気にならないのです。観光地でのエンターテイメントなので、自分たちが楽しめればよいわけです。

こういう現象は日本だけではなく、世界の観光地に行けばどこでも似たようなことをやっています。観光地の業者にとっては本物かどうかなど念頭になく、観光客が喜んで金を落としてくれればそれでいいわけです。偽物でも贋物でも儲かればそれでいい、というのが観光業者のホンネだとすると、それは伝統文化の衰退につながる危険性があります。それはやがて真似事をする人にとっても魅力が薄れ、だんだん需要も減り、やがて消滅してしまいます。一旦、消滅した文化が復興するにはかなりの努力と時間がかかり、それは消滅するまでの時間の何倍にもなります。それは「時代の流れ」として諦めるしかないかもしれませんが、一時の、一部の金儲けのために、長い伝統が犠牲になるというのは残念なことです。違文化は違和感を感じているうちに対策をとるべきで、それは観光客がすることではなく、金儲けする業者が責任感をもつべきだろうと思います。自文化は当たり前すぎてそれほど価値を感じないのでしょう。

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