神武天皇祭

四月三日は神武天皇祭が宮中で行われます。神武天皇祭は、初代天皇である神武天皇を祭る皇室の宮中祭祀です。戦前は大祭で休日(祝祭日)の一つでした。初代天皇である神武天皇の崩御日に相当する4月3日に毎年行なわれ、神武天皇の天皇霊を祭ります。崩御日は『日本書紀』によれば紀元前586年(神武天皇76年)3月11日ですが、これをグレゴリオ暦に換算して4月3日としています。それがいいかどうかという議論もありますが、旧暦の行事を新暦換算して移した行事は数多くあります。宮中の皇霊殿と神武天皇陵に治定される奈良県橿原市の畝傍山東北陵に勅使が派遣され儀式が行われるそうです。神武天皇は実在かどうか、という議論もありますが、仮に伝説上の人物であったとしても、王家の初代が伝説であることは世界共通でもあり、宗教と結びついているのも普通です。日本が、戦後、急に否定しはじめたのは、駐留軍による内政干渉といえますが、洗脳政策が功を奏して、今は公式に否定されつつも、実態として残っている、という奇妙な形になっています。それは政治的に干渉できても、文化まで変えることはできない、ということの証でもあります。神武天皇祭は幕末の孝明天皇の時代、1860年(万延元年)に神武天皇の御陵祭として始まり、1871年(明治4年)9月に定められた「四時祭典定則」で規則化され、その後、1908年(明治41年)9月19日制定の「皇室祭祀令」で改めて法制化されました。同法は1947年(昭和22年)5月2日に廃止されましたが、以降も宮中祭祀として存続しています。「皇室祭祀令」における歴代天皇の祭祀は、大祭が 神武天皇祭、先帝祭、春季皇霊祭、秋季皇霊祭、先帝以前3代の式年祭で、小祭 が 先帝以前3代の例祭、綏靖天皇以下先帝以前4代に至る歴代天皇の式年祭となっているそうです。先帝祭は天長節(天皇誕生日)と同様に皇位継承によって変更されるものであり、皇霊祭は春分と秋分に歴代天皇霊をまとめて祭る祭祀であることから、神武天皇祭は永劫的に特定の一代の天皇を毎年大祭で祭る唯一の祭祀であり、皇統の始祖(皇祖)として別格の扱いとなっていますが、初代であるから当然かもしれません。当日、皇霊殿で東遊の奏上を含む儀式が行なわれるとともに、勅使を差遣して畝傍山東北陵に奉幣を行います。なお、旧制では式年祭には、天皇自ら神武天皇陵へ行幸して参拝することが定められていました。また、橿原神宮(奈良県)や宮崎神宮(宮崎県)などの神武天皇を祀る神社はもとより日本全国の神社の殆どで遙拝式或いは祭典が行なわれます。奉祝行事では、橿原神宮周辺において「春の神武祭」が神武天皇祭(4月3日)付近の週末に開催され、橿原神宮のライトアップおよび映像ショー、古代衣装による参道パレード、植木市、フリーマーケットなどが行われる。宮崎神宮においては神武天皇祭当日に流鏑馬が開催されるそうです。現代でも祭りが続いているわけです。いろいろな思想の人がいるので、一概に言えませんが、伝統を重んじる人々の思いは尊重すべきであるとおもいます。(https://ja.wikipedia.org/wiki/神武天皇祭 参照)
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