天和の大火と八百屋お七



昔の江戸は火事が多かったようです。木造建築ばかりですし、密集していたので一旦火事になると大火事になりやすかったといえます。天和2年12月28日(1683)天和の大火(てんなのたいか)と呼ばれる江戸の大火が起きました。正午ごろ駒込の大円寺から出火し、翌朝5時ごろまで延焼し続け、死者は最大3500余と推定されているそうです。お七火事(おしちかじ)と呼ばれることもありますが、八百屋お七はこの火事の被災者であり、のちに八百屋お七が放火した火事とは別です。坂本冬美で有名になった「夜桜お七」は八百屋お七がモデルになっていますが、その内容を知っている人は意外に少ないです。落語や講談などを聞く方はごぞんじです。

八百屋お七は天和の大火により焼け出された江戸本郷の八百屋の娘でした。そこで檀那寺吉祥院に避難したのですが、避難先でお七は寺小姓の吉三(きちざ)と恋仲になります。やがて店が再建され、お七一家はその寺を引き払ったのですが、お七の寺小姓への想いは募るばかり。そこでもう一度火事が起きたらまた同じように寺にいけるかもしれない、と思い、寺小姓に会いたい一心で自宅に放火しました。火はすぐに消し止められぼやにとどまったが、放火は当時でも重罪です。お七は捕縛されて鈴ヶ森刑場で火炙りの刑に処せられました。という悲恋物語です。このことから、天和の火災はお七火事とも呼ばれるようになったのであって、お七が火付けした火事そのものではないのです。

八百屋お七の落語では、その後日談があり、お七が鈴が森で火あぶりになったことを聞いた吉三は悲しみ、生きていてもしかたがないと、吾妻橋から身を投げてお七の後を追い、地獄へ行きます。自殺は地獄行きと決まっています。地獄で巡り合った二人。

「そこにいるのはお七か」「吉三さん、会いたかった」と抱き合ったとたんに、ジュウッという音。お七が火で死んで、吉三が水で死んだから、火に水が掛けられてジュウ。女が七で男が三だから、合わせて十。ここで落ちる場合もありますが、普通はさらに、お七の亡霊が毎晩鈴が森に出没するというので、世間の評判になりました。お七は美少女でしたから、見に行こうという輩もたくさんでてきます。ある夜、通りかかった侍が、いきなり幽霊に出くわして、「うらめしや」とやられたので怒って、「おまえに恨みを受けるいわれはない」とお七の幽霊の一方の手と一方の足を斬り落としてしまいました。幽霊に足があったの?というツッコミは無視して、お七が一本足で逃げだすので「その方、一本足でいずこへ参る」「片足(あたし)ゃ、本郷へ行くわいな」

大火
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