学習の動機
教える側(教師)にとって、教わる人(生徒)の学習動機はぜひとも知りたいことの1つです。ところが生徒の動機は案外マチマチで、どの生徒にも合うようなカリキュラムや指導法というのは存在しません。カリキュラムや指導法というのは平均的つまり数値上存在しても実際には存在しない仮定の理論です。生徒が学習した量というのは本来なかなか測定できないものなのですが、テストの点数によって数値化し、さらにそれを集めて統計的に処理した結果が平均であり、さらに精緻化したのが偏差値です。これらの数値は集団同士を比較する時には便利ですが、個々人を比較する時には注意が必要です。しかも学習結果をテストという共通項目で測定した結果なので、そもそも個々人の学習結果が正しく測定されているという保証はありません。
なによりも重要なのは、生徒の動機とはまったく関係のない数値化です。生徒の中にはテストの結果の成績を上げることが学習の動機になっている場合もありますが、それは表面的な解釈で、成績を上げることで得られる結果への期待が真の動機になっています。親に褒められる、自分の達成感が得られる、この先の受験先への期待感が増す、などが主たる動機になっているはずです。しかしその動機も本当に生徒が望んでいるケースは少ないのです。親を始め周囲の期待に応えようとしているだけでしょう。他人の期待に応えることが動機になることはいけないことではありません。大人ならそれが仕事の動機になっていることも多いでしょう。しかし子供にとって、勉強より遊びが楽しいのが普通です。勉強が楽しい、というのは例外的で、勉強内容が自分の好みにあっている場合にかぎられます。虫が大好き、鉄道が大好き、お城が大好き、などから、本を一生懸命読み、博物館や現場に出かけて学習し、字を覚えたり用語を覚えたりすることには苦痛ではなく喜びがあります。結果として周辺知識への興味へと広がり、歴史や科学の学習へと動機が広がっていきます。残念なことに、学校の勉強がその中にほとんど入っていないのです。理由は学校教育が平均的で共通した内容になっていることです。最近は学校の部活でそれらをカバーしているケースも増えてきましたが、あくまでも部活であって、学校教育の核にはなっていません。理由はそういう「特殊な」目的の学習を指導できる教員がいないためです。教員になるには特殊な能力や知識ではなく、文部科学省の定めたカリキュラムと教科書で指導できる平均的な指導力が求められます。今なら比較的広範な共通性のある分野として、漫画の能力と知識がありますが、そういう知識と能力がある教員がいても、せいぜい部活指導であって、教員採用試験でそれだけで採用されることはありません。もしそういう学習を望む子がいれば、独学か特別な塾に行くしかありません。昔から習い事があり、算盤塾、書道塾、美術教室、音楽教室、英語がありました。今はICTの指導教室です。そして受験という、どの生徒にも共通する動機でさえ、学習塾や予備校があります。学習者の動機を知るには平均という概念を捨てることから始まります。
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