学制150年



明治5年はいろいろな改革が行われた年ですが、近代的学制が開始されたのもこの年です。前年の明治4年廃藩置県が行われ、中央集権の政府となり、文部省が設置されました。文部省は日本全国の学校を管轄し、江戸時代の学校制度をなくして、欧米の教育制度を参照した学校制度にすることになりました。明治5年6月24日に太政官から認可がおり、8月3日に太政官布告があり学制が公布されました。

文科省(https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317567.htm)によれば「学校制度の体系としては小学、中学、大学の三段階を基本とした。小学校は八年制で上等小学、下等小学各四年の学校となっていた。小学校は学校制度の基礎となる教育を施す機関であって、すべてのものが入学しなければならない学校として企画してあった。小学校には種別があり、尋常小学は、基本となる普通教育を施す学校であって一般の児童はここに入学するとした。そのほかにさまざまな教育を行なうことのできる小学校を企画した。中学は、小学を修了したものが入学する学校であるとし、小学校教育を受けたものの中から選ばれた生徒がここに入学することとした。中学校にも実業教育のための諸学校や補習を行なう学校などの種別があると定めていた。中学校を修了したものの中から選ばれた生徒が大学に入学するとし、大学教育の基礎となる外国語学習のための外国語学校やその他の諸専門学校についても定めている。これらが高等教育を行なう諸種の学校として規定に掲げられていた。このようにして小学、中学、大学を基本となる学校体系として、そのほかに多様な教育を行なう諸学校も計画して近代学校の全体を展望できるようにした。」とあります。

欧米を真似ただけあって、欧州では今もこの制度に近いです。小中が一緒になって9年になっているのと、実業系中学が高校扱いになっている程度の変化です。日本が現在の六三三四制になったのは、戦後に米軍が実権として導入したのが未だに残っているだけで、米国は九三四が基本でそうでない学制の州もあります。そして日本は未だに飛び級を拒否しています。飛び級について反対派は弊害ばかりを強調しますが、メリットも大きいことは欧米では常識です。

上記文科省サイトでは「これらの小学、中学、大学を設けるために学区制をとり、全国を五万三、七六〇の小学区に分け、ここに小学校一校を、二一〇小学区をもって中学区とし、全国二五六の中学区に中学校一校を設置することとし、三二中学区をもって大学区とし、ここに大学一校、全国に八大学を設けることとした。」とあり、現在、旧帝と呼ばれるエリート国立大学の前身ができたのですが、未だ他の国立との差別が陰では行われています。

また教員養成のために師範学校を設けて、卒業生を教師として小学校へ派遣する方策も新しく、このためにまず東京に師範学校を開設することが決定されたのも明治5年した。NHKの前の大河ドラマ「いだてん」で金栗四三が所属する東京高師が日本初のマラソンで優勝したシーンを覚えておられると思います。東京高師はその後、東京教育大となり、現在は筑波大になっています。同じように全国の師範学校も教育大学となり、しかも教員養成専科でなくなったため、次第に衰退してきているのが現状で、それが教員の質とも関係しているといわれています。

学制は国の教育の根本ですから、今、再考の時期に来ているのですが、具体案はどこからも出てこないのが問題でしょう。

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